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ヘルツリーヤ(ヘブライ語: הֶרְצְלִיָּה、英: Herzliya)は、イスラエルの中央沿岸地方、テルアビブ地区に位置する都市。26平方キロメートルの土地に、8万7000人が暮らす[1]。近代シオニズムを確立したテオドール・ヘルツルにちなみ名づけられた[2]。ヘルズリヤとも表記される。
1924年に準協同農業共同体として設立された。1948年のイスラエル建国後、多くの入植者がやってきて、1960年には人口が2万5000人を超え、「市」に昇格した[3]。
イスラエル中央統計局の調べによると、ヘルツリーヤには富裕層が多く住む。2003年から2005年の市民の平均月給は8211新シェケルで、国内の大都市の平均より1500新シェケルほど高い。しかし、市内の7地区の間で格差が激しい。シェロン地域の他の都市より高齢化が進んでいて、14歳以下の割合が全国平均の27.5%に対し18%しかない[2]。
2008年の「生活の質調査」で、ヘルツリーヤは国内の15の大都市のなかで2番目についた。教育分野への支出は他のどの都市よりも多く、ほとんどの生徒がバグルートを取得する[2]。「ヘルツリーヤ学術センター」という私立大学があり、行政学、経営学、法学、コンピューター工学などの学士課程が設けられている[4]。
国内最大手のテレビ局、映画スタジオの「ヘルツリーヤ・スタジオ」はヘルツリーヤに本社を置く。市内のマリーナ(小型船舶港湾)は1970年代に整備された。小さな空港が一箇所、ショッピングモールが三箇所、ほかにも映画館、博物館、文化センター、競技場がある。2008年にはシネマテークがダウンタウンにオープンした[5]。
2008年に国内の15都市を対象に行われた調査で、ヘルツリーヤは財政運営の分野で二位の高評価を受けた[2]。
リーガ・レウミートで共にプレイするマッカビ・ヘルツリーヤとハポエル・ヘルツリーヤの2つのサッカークラブがあり、7100人収容のヘルツリーヤ市営競技場をホームグラウンドとして共用している。また、バスケットボールクラブのブネイ・ハシャロンはヘルツリーヤとラーナナのクラブが合併して誕生したため、両都市をホームとしている。また、ラグビーユニオンも盛んである。
開拓者の家のひとつは現在、歴史博物館として公開されている。美術館はヤド・ラバニム記念複合施設内にある。北部にはシードナ・アリ・モスクや古代都市テル・アルサフ(アポロニア国立公園)がある。この古代都市には2500年前から人が住んでいた。壕をめぐらせた砦もある[3]。
ヘルツリーヤでは2000年から年次、国内外のイスラエル有力者たちが会議を開いている。具体的には閣僚、国会(クネセト)議員、軍将校、財界人、学者、メディアの代表、世界ユダヤ機構の代表、外国の要人、外交官などが出席する[6]。
西部にあるヘルツリーヤ・ピター地区は、国内屈指の地価とすばらしい浜辺で知られ、ハイテク企業に人気が高い。マリーナや多くのレストラン、エンタメスポットがあり、国内の「夜の娯楽」の中核を成している[2]。また、大使などの外交官の邸宅も集中している。
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