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ミールへのプログレス補給船 ウィキペディアから
プログレスM-7はソビエト連邦が1991年にミール宇宙ステーションの補給のために打ち上げたプログレス補給船[2]。ミールに訪れた64機のプログレスのうち25機目であり、プログレス-M前期型で[3]、シリアル番号は208番であった[4]。
任務種別 | ミール の補給 |
---|---|
COSPAR ID | 1991-020A |
特性 | |
宇宙機種別 | プログレス-M (11F615A55) |
製造者 | NPOエネルギア |
打ち上げ時重量 | 7250 kg |
任務開始 | |
打ち上げ日 | 1991年3月19日 13時5分15秒 (UTC) |
ロケット | ソユーズ-U2 |
打上げ場所 | バイコヌール Site 1/5 |
任務終了 | |
廃棄種別 | 軌道離脱 |
減衰日 | 1991年5月7日 |
軌道特性 | |
参照座標 | 地球周回軌道 |
体制 | 低軌道 |
近点高度 | 365 km[1] |
遠点高度 | 388 km[1] |
傾斜角 | 51.6 度 |
ミールのドッキング(捕捉) | |
ドッキング | コアモジュール 前方 |
ドッキング(捕捉)日 | 1991年3月28日 12時2分28秒 (UTC) |
分離日 | 1991年5月6日 22時59分36秒 (UTC) |
ドッキング時間 | 39日 |
ミールE0-8のクルー用の食料、水、酸素などを積んでおり、科学研究用の物品類、軌道補正マニューバ用燃料などが積まれていた。また、ミールから物品を地上に持ち帰るためのVBKラドゥガを積んでいた。
プログレスM-7は1991年3月19日13時5分15秒にバイコヌール宇宙基地1/5発射台からソユーズ-U2で打ち上げられた[4]。プログレスM-7はミールとのドッキングを3回試みており、最初のドッキング試行は3月21日14時28分(GMT)に行われ、結果としてドッキング試行中止までにミールの500mの範囲に接近した。2回目の試行は3月23日に行われ、ミールから50mの位置で近接は中止されたが、保持位置に移動する前の問題が調査されている間に5mの位置を通過した[5]。最初の2回の試行はクバント1モジュールの後方ドッキングポートを使っており、3回目はミールコアモジュールの前方ポートを利用することが決められた。3月26日10時12分0秒(GMT)にコアモジュールの前方ポートに接続されていたソユーズTM-11がドッキングを解除され、先立ってステーションの周りを飛び、10時58分59秒にクバント1にドッキングした[6]。その後M-7はコアモジュール前方ポートに3月28日12時2分28秒(GMT)にドッキングした[7][6]。
M-7がドッキングしている39日の間、ミールは365kmから388kmの高度を、51.6度の軌道傾斜角で周回していた[1]。M-7は同年5月6日22時59分36秒(GMT)にドッキングを解除し、翌日の16時24分0秒に軌道を離脱し、太平洋上で大気圏に再突入し破壊された[1][6]。
ラドゥガカプセルは軌道離脱噴射前に展開され、ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国に17時20分(GMT)に降下したが、回収の努力は成功しなかった[6]。
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