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プラエネステのフィーブラ(ラテン語: Fibula praenestina)とは、紀元前600年頃[1]のものと言われる、ラテン語の刻文の書かれたフィーブラ(留め具)。刻文はわずか1行の短文ながら、ラテン語で書かれた最古の文章であり、きわめて古風な特徴を示す。ただし贋作説があり、真作かどうかは現在も決着がついていない。
プラエネステのフィーブラは、ローマの東にあるパレストリーナ(古名プラエネステ)で発見されたといわれる、長さ11cmの黄金製のフィーブラで、1877年にドイツの考古学者のヴォルフガング・ヘルビヒによって発表された。ローマのピゴリーニ国立先史民族博物館が所蔵している。
刻文はエトルリア式のギリシア文字で右から左に書かれている。単語はコロンに似た記号で区切られている。翻字すると以下のようになる[2]。
これを古典ラテン語に直すと以下のようになる。
古典ラテン語とくらべて、以下のような特徴がある。
ヘルビヒが正確な出土地を明らかにしなかったこともあり、プラエネステのフィーブラには19世紀以来疑いの目が向けられていた[7]。1975年にカリフォルニア大学バークレー校の古典学者アーサー・E・ゴードンがプラエネステのフィーブラの真贋に関する研究を発表した。1980年にローマ大学の考古学者・古文字学者であるマルゲリータ・グァルドゥッチ(Margherita Guarducci)が学際的な研究を行い、プラエネステのフィーブラを当時の古物商であったフランチェスコ・マルティネッティによる贋作であり、刻文はヘルビヒ本人によるものと結論づけた。グァルドゥッチによれば、古いものに見せかけるために、フィーブラを酸で処理した跡が見られた。ゴードンもグァルドゥッチ説に賛成した。
しかし、これで決着がついたわけではなかった。古代の金属加工の専門家のエディルベルト・フォルミリは、1992年に再検討を行い、フィーブラを紀元前のものと考えても無理がないこと、酸による処理は古く見せかけるためではなく、出土時に汚れを取るために行った可能性もあることなど、1980年とは逆の結論を下した[8]。2011年にピゴリーニ国立先史民族博物館では新たな科学的調査によって、フィーブラが紀元前7世紀前半のものであると結論づけた[9]。
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