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ブーフローエ (ドイツ語: Buchloe, ドイツ語発音: [ˈbuːxloːə][2]) は、ドイツ連邦共和国バイエルン州シュヴァーベン行政管区のオストアルゴイ郡に属す市であり、隣接するイェンゲン、ラマーディンゲン、ヴァールとともにブーフローエ行政共同体を形成する。
紋章 | 地図 (郡の位置) |
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基本情報 | |
連邦州: | バイエルン州 |
行政管区: | シュヴァーベン行政管区 |
郡: | オストアルゴイ郡 |
市町村連合体: | ブーフローエ行政共同体 |
緯度経度: | 北緯48度02分16秒 東経10度43分46秒 |
標高: | 海抜 627 m |
面積: | 36.18 km2 |
人口: |
14,119人(2023年12月31日現在) [1] |
人口密度: | 390 人/km2 |
郵便番号: | 86807 |
市外局番: | 08241 |
ナンバープレート: | OAL, FÜS, MOD |
自治体コード: |
09 7 77 121 |
行政庁舎の住所: | Rathausplatz 1 86807 Buchloe |
ウェブサイト: | www.buchloe.de |
首長: | ローベルト・ペシュル (Robert Pöschl) |
郡内の位置 | |
地図 | |
ブーフローエはシュヴァーベン中部アルゴイ地方のゲンナハ川沿いに位置する。
本市は、公式には7つの地区 (Ort) からなる[3]。このうち小集落や孤立農場などを除く集落を以下に列記する。
かつては森に覆われていた高原地域に刻まれたゲンナハ川の渓谷に位置するブーフローエは、元々ヴィーダーゲトリンゲンの外れにあたるロイトゲノッセンなどにあった大領主により8世紀後半に開墾された。この集落は、1150年頃に初めて文献に記録されている。
この村の都市への昇格は、ルドルフ1世によるもので、1273年から1283年の間になされた。ブーフローエの歴史の重大な転換点は1311年に、シュタムス修道院とアウクスブルク司教との間で、ブーフローエおよびディリスハウゼンの市場開催権と庇護権がミーミング(チロル)のゼークの土地および同等の権利と交換されたことにあった。ブーフローエはこの後世俗化(1802年)まで司教本部の所領であった。
1711年、「バイエルンのヒアスル」と呼ばれるマティアス・クロスターマイアは逮捕後、短い期間ではあるが、ブーフローエの矯正刑務所(1722年から25年に建設、1955年まで刑務所として用いられたが、1962年に廃止された)に拘留された。
ブーフローエはしばしば大火災に苦しめられた。またドイツ農民戦争では、この街の住民達はブーフローエ出身のゼバスティアン・バーダーに率いられ叛徒側に参加した。ブーフローエ反乱軍のランツベルク市攻撃を予期したバイエルン公ルートヴィヒ10世 (バイエルン公)は、その予防措置として1525年4月20日にブーフローエを略奪し、焼き払ったのであった。農民戦争のわずか8年後の1533年、またしても大火が起こり、ブーフローエの街の半分を灰燼に帰した。「我らが聖母」教区教会もこの時失われた。シュマルカルデン戦争の際、1546年にはシェルトリン・フォン・ブーテンバッハがブーフローエへ来襲し、街を丸ごと略奪した後火をつけた。
やがてゲンナハ川対岸の山の麓に20の農場を有するヴェルフェン家の入植地が設けられた。この地区は今では広さと重要さを増している。ブーフローエの人口は、1820年には717人だったが、1920年には2,500人になっていた。第二次世界大戦(1939年 - 1945年)後、旧ドイツ東部からの難民によりブーフローエの人口は倍増し、5,250人となった。人口増加と鉄道の乗換地点という重要性が最終的な決め手となり、1954年4月20日にバイエルン州はブーフローエに対し、「市」の称号と紅白の市章(アウクスブルク司教の後期ゴシック様式の盾型紋)を再び与えた。現在この年の人口は約12,000人以上である。
1971年と1972年に、リンデンベルクとホンゾルゲン(ハウゼンを含む)が合併した。
第二次世界大戦後の歴代首長を列記する。
名前 | 在任期間 |
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ヨハン・マイヤー | 1945-1947 |
ヨーゼフ・エベーレ | 1948-1962 |
ヤーコプ・フェルク | 1962-1966 |
フランツ・モッツァー | 1966-1973 |
ゲルト・ダイゼンベルガー | 1974-1991 |
フランツ・グライフ | 1991-2003 |
ヨーゼフ・シュヴァインベルガー | 2003-2020 |
ローベルト・ペシュル | 2020- |
図柄: 赤字と銀地に左右二分割。紋章は1500年頃から様々に形を変えてきた。1643年には、向かって左半分はダマスク紋様が描かれた。1834年から1950年までは、「金地と銀地に二分割。向かって左にブナ (Buche) の葉」という紋章が用いられた。
ブーフローエは、連邦アウトバーンA96号線(ミュンヘン - ブーフローエ - メミンゲン - リンダウ)沿いにあり、連邦道B12号線(リンダウからミュンヘン、パッサウを経由してフィリップスロイトまで)につながるインターチェンジがある。この街は「アルゴイの門」を自認する。
ブーフローエ駅は、アルゴイ鉄道ミュンヘン - リンダウ線と鉄道アウクスブルク - ブーフローエ線、ブーフローエ - メミンゲン - リンダウ線の乗り継ぎ駅で、インターシティやスイスへ直行するユーロシティの停車駅となっている。
この都市の企業で有名なのは Alpina Burkard Bovensiepen GmbH und Co.、Karwendel-Werke(食品会社)である。
また、Mokselグループ(食肉加工業)の本社はブーフローエにある。また FRISTO Getränkemarkt GmbH(小売りチェーン)や Rudolf Hörmann GmbH & Co KG、さらには Xaver Riebel Holding GmbH & Co. KG(建設業)の本社もブーフローエにある。
ブーフローエには、警察監査局、病院、消防団、バイエルン赤十字の救助ステーションがある。
2009年6月17日からは、これらに加えて、州立ギムナジウムがブーフローエ市に設立された。
ブーフローエの西にスポーツ施設がある。テニスコート、スカッシュコート、アイススポーツホール、屋内プール、屋外プールがある。この施設は学校や周囲と隣接して設けられている。この他、ブーフローエにはサッカースタジアム、多くの草サッカー場、フィットネス・スタジオ(2軒)、射撃場、青少年センター、図書館がある。
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