ブレット・ウィリアム・ブラウン(Brett William Brown, 1961年2月16日 - )はアメリカ合衆国メイン州サウスポートランド出身のプロバスケットボールコーチ。NBAサンアントニオ・スパーズのアシスタントコーチ。
シクサーズHCでのブラウン (2015年) | |
サンアントニオ・スパーズ AC | |
---|---|
ポジション | PG |
役職 | アシスタントコーチ |
基本情報 | |
国籍 | アメリカ合衆国 |
生年月日 | 1961年2月16日(63歳) |
出身地 | メイン州サウスポートランド |
キャリア情報 | |
出身 | ボストン大学 |
指導者経歴 | |
1988-1993 1993-1998 1998-1999 2000-2002 2002-2013 2013-2020 2022- |
メルボルン・タイガース(AC) ノースメルボルン・ジャイアンツ サンアントニオ・スパーズ (AC) シドニー・キングス サンアントニオ・スパーズ(AC) フィラデルフィア・セブンティシクサーズ サンアントニオ・スパーズ(AC) |
受賞歴 | |
経歴
プレーヤー
メイン州のサウスポートランド高校でバスケットボールを始め、父親のボブ・ブラウンがヘッドコーチを務めていたチームで、ガードとしてチームを率い29勝0敗の記録を作った。1979年に卒業しボストン大学に進学した。ここで卒業まで4年間プレーし、ジュニア、シニアでキャプテンを務め、1983年には、1959年以来となるNCAAトーナメント進出を果たした。
コーチ
カレッジ
NBL
1988年から、オーストラリアに渡り、プロリーグNBLのメルボルン・タイガースで、オーストラリアとFIBA両方で殿堂入りを果たしているリンゼイ・ガズの下、アシスタントコーチを務めた後、1993年からノースメルボルン・ジャイアンツでヘッドコーチを務め、1994年の優勝により、NBL年間コーチ賞を獲得した。2000年から2002年にスパーズに再加入するまでシドニー・キングスでヘッドコーチを務め、NBL通算143勝を挙げた。
NBA
2002年からNBA、サンアントニオ・スパーズのアシスタント/選手育成コーチを務め[1]、2006-2007年のシーズンを前にアシスタントコーチとしてベンチ入りし[2]、この年のNBA制覇に貢献した。スパーズでは、1998-1999年にR・C・ビュフォードに雇われ球団運営会社のスタッフを務めた経歴がある[3]。その後、シドニー・キングスでヘッドコーチを務めるためスパーズを一旦離れ、2002年に戻っている。選手育成コーチ時代には、その後スパーズのビッグ・スリーを担うこととなる2001年入団のトニー・パーカー、2002年入団のマヌ・ジノビリらの育成にも貢献している。
グレッグ・ポポヴィッチヘッドコーチの下、長年、スパーズの強さを支えて来たことを認められ、2013年にフィラデルフィア・セブンティシクサーズの24代目のヘッドコーチに就任した[4]。ここでも新人育成の手腕を発揮し、2013-2014シーズンには、ドラフト11位指名からマイケル・カーター=ウィリアムスを新人王へと導いている。ヘッドコーチ就任以降、チームの成績こそリーグ下位に苦しんでいるものの、ナーレンズ・ノエル、ジャーリール・オカフォー、T・J・マコーネルなど粘り強く若手選手を育成してきた手腕が評価され、2015年12月12日にシクサーズと2018-2019シーズンまでの契約に合意した[5]。 2022年7月30日、スパーズのアシスタントコーチに復帰した[6]。
オーストラリア代表
2009年から2012年までオーストラリアナショナルチームのヘッドコーチを務め[7]、パティ・ミルズ、アンドリュー・ボーガットらを指揮した。
ヘッドコーチ記録
NBA
NBAヘッドコーチ実績表略号説明 | |||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
レギュラーシーズン | G | 試合数 | W | 勝利数 | L | 敗戦数 | W–L % | レギュラーシーズン勝率 | |
ポストシーズン | PG | 試合数 | PW | 勝利数 | PL | 敗戦数 | PW–L % | プレイオフ勝率 |
チーム | シーズン | G | W | L | W–L% | シーズン結果 | PG | PW | PL | PW–L% | 最終結果 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
フィラデルフィア・セブンティシクサーズ | 2013–14 | 82 | 19 | 63 | .232 | アトランティック5位 | — | — | — | — | プレーオフ不出場 |
フィラデルフィア・セブンティシクサーズ | 2014–15 | 82 | 18 | 64 | .220 | アトランティック4位 | — | — | — | — | プレーオフ不出場 |
フィラデルフィア・セブンティシクサーズ | 2015–16 | 82 | 10 | 72 | .122 | アトランティック5位 | — | — | — | — | プレーオフ不出場 |
フィラデルフィア・セブンティシクサーズ | 2016–17 | 82 | 28 | 54 | .341 | アトランティック4位 | — | — | — | — | プレーオフ不出場 |
フィラデルフィア・セブンティシクサーズ | 2017–18 | 82 | 52 | 30 | .634 | アトランティック3位 | 10 | 5 | 5 | .500 | カンファレンスセミ敗退 |
フィラデルフィア・セブンティシクサーズ | 2018–19 | 82 | 51 | 31 | .622 | アトランティック2位 | 12 | 7 | 5 | .583 | カンファレンスセミ敗退 |
フィラデルフィア・セブンティシクサーズ | 2019–20 | 73 | 43 | 30 | .589 | アトランティック3位 | 4 | 0 | 4 | .000 | ファーストラウンド敗退 |
Total | 565 | 221 | 344 | .391 | 26 | 12 | 14 | .462 |
NBL
チーム | シーズン | G | W | L | W–L% | シーズン結果 | PG | PW | PL | PW–L% | 最終結果 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
ノースメルボルン・ジャイアンツ | 1993 NBLシーズン | 29 | 14 | 15 | .483 | 8th | 3 | 1 | 2 | .333 | Lost in Quarter Finals |
ノースメルボルン・ジャイアンツ | 1994 NBLシーズン | 33 | 25 | 8 | .758 | 1位 | 7 | 6 | 1 | .857 | NBL優勝 |
ノースメルボルン・ジャイアンツ | 1995 NBLシーズン | 34 | 23 | 11 | .676 | 2位 | 8 | 5 | 3 | .625 | ファイナル敗退 |
ノースメルボルン・ジャイアンツ | 1996 NBLシーズン | 28 | 15 | 13 | .536 | 7位 | 2 | 0 | 2 | .000 | 準々決勝敗退 |
ノースメルボルン・ジャイアンツ | 1997 NBLシーズン | 35 | 20 | 15 | .571 | 3位 | 5 | 2 | 3 | .400 | 準決勝敗退 |
ノースメルボルン・ジャイアンツ | 1998 NBLシーズン | 30 | 9 | 21 | .300 | 11位 | — | — | — | — | プレーオフ不出場 |
ノースメルボルン・ジャイアンツ | 189 | 106 | 83 | .561 | 25 | 14 | 11 | .560 | 1×NBL優勝 | ||
シドニー・キングス | 2000–01NBLシーズン | 31 | 18 | 13 | .581 | 5位 | 3 | 1 | 2 | .333 | 準々決勝敗退 |
シドニー・キングス | 2001–02 NBLシーズン | 30 | 14 | 16 | .467 | 7位 | — | — | — | — | プレーオフ不出場 |
シドニー・キングス | 61 | 32 | 29 | .525 | 3 | 1 | 2 | .333 | — | ||
Total | 250 | 138 | 112 | .552 | 28 | 15 | 13 | .536 | 1×NBL優勝 |
脚注
外部リンク
Wikiwand in your browser!
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Every time you click a link to Wikipedia, Wiktionary or Wikiquote in your browser's search results, it will show the modern Wikiwand interface.
Wikiwand extension is a five stars, simple, with minimum permission required to keep your browsing private, safe and transparent.