フランチェスコ・マンチーニ (1968年生のサッカー選手)

イタリアのサッカー選手 ウィキペディアから

フランチェスコ・マンチーニ(Francesco Mancini、1968年10月10日2012年3月30日)は、イタリアマテーラ出身の元サッカー選手、元サッカー指導者。現役時代のポジションはゴールキーパーであった。ゴールキーパーとしては小柄(176cm)であったが、守備範囲の広さや足下の技術の高さなどが持ち味であった[1]

概要 フランチェスコ・マンチーニ, 名前 ...
フランチェスコ・マンチーニ
名前
ラテン文字 Francesco Mancini
基本情報
国籍 イタリア
生年月日 (1968-10-10) 1968年10月10日
出身地 マテーラ
没年月日 (2012-03-30) 2012年3月30日(43歳没)
身長 178cm
選手情報
ポジション GK
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1985-1987 マテーラ 57) (0)
1987 ビシェリエ 0 (0)
1987-1997 フォッジャ 235 (0)
1995-1996 ラツィオ (Loan) 6 (0)
1997-2000 バーリ 95 (0)
2000-2003 ナポリ 82 (0)
2003-2004 ピサ 38 (0)
2005 サンベネデッテーゼ 14 (0)
2005-2006 テーラモ 32 (0)
2006-2007 サレルニターナ 18 (0)
2007-2008 マルティーナ 14 (0)
監督歴
2009-2010 マンフレドーニア(GKコーチ / アシスタントコーチ)
2010-2011 フォッジャ(GKコーチ)
2011-2012 ペスカーラ(GKコーチ)
1. 国内リーグ戦に限る。
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経歴

選手

地元のFCマテーラからデビューした。1987年にフォッジャに移籍。1989年にズデネク・ゼーマン監督が就任すると、1990-91シーズンにはセリエB(2部)優勝とセリエA(1部)昇格を果たし、攻撃的なスタイルで旋風を巻き起こしたミラクル・フォッジャを最後尾から支えた。1995-96シーズンはセリエBで2試合に出場したが、1995年11月にセリエAのSSラツィオにレンタル移籍した。1996-97シーズンはセリエBのフォッジャに復帰し、1997年夏にセリエAのASバーリに移籍した。ASバーリでは3シーズンでリーグ戦95試合に出場した。

2000年10月、セリエAのSSCナポリに移籍し、ボローニャFCに移籍した若手のフェルディナンド・コッポラの後釜に落ち着いた。2001年1月にベテランのアルベルト・フォンタナが加入するとポジションを失ったが、セリエB降格により再びポジションを取り戻した。2002-03シーズンはマルコ・ストラーリエマヌエレ・マニッタの控えとして、35歳ながら27試合に出場した。2003年夏にはSSCナポリがマニッタを完全移籍で獲得したため、セリエC1(3部相当)のピサに移籍した。2005年1月には、ドメニコ・ディ・ディオとのトレードで同じくセリエC1のサンベネデッテーゼに移籍した。やはりセリエC1のテーラモサレルニターナマルティーナでもプレーし、2008年に現役引退した。

指導者

2009-10シーズンはレガ・プロ・セコンダ・ディヴィジオーネ(4部相当)のマンフレドーニアでゴールキーパーコーチ兼アシスタントコーチを務めた。2010年7月、かつての恩師ゼーマン監督が指揮する古巣フォッジャのゴールキーパーコーチに就任した。2011年7月、ゼーマンのペスカーラ・カルチョ監督就任にともなってペスカーラのゴールキーパーコーチに就任した[2]。2012年3月30日、午前中は普段通り練習の指導を行ったが、ペスカーラの自宅で突然の心臓発作に襲われて死去した[3][4][1]。43歳だった。翌日にペスカーラがマンチーニの古巣ASバーリと対戦した際には、両クラブの選手が喪章を付けてプレーした[1]

タイトル

フォッジャ

脚注

外部リンク

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