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ウルグアイのサッカー選手 ウィキペディアから
ネストル・フェルナンド・ムスレラ・ミコル(Néstor Fernando Muslera Micol、1986年6月16日 - )は、アルゼンチン・ブエノスアイレス出身のサッカー選手。スュペル・リグ・ガラタサライ所属。ウルグアイ代表。ポジションはゴールキーパー。
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ガラタサライでのムスレラ (2021年) | ||||||
名前 | ||||||
本名 |
ネストル・フェルナンド・ムスレラ・ミコル Néstor Fernando Muslera Micol | |||||
ラテン文字 | Fernando Muslera | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 |
ウルグアイ イタリア アルゼンチン | |||||
生年月日 | 1986年6月16日(38歳) | |||||
出身地 | アルゼンチン・ブエノスアイレス | |||||
身長 | 190cm | |||||
体重 | 84kg | |||||
選手情報 | ||||||
在籍チーム | ガラタサライ | |||||
ポジション | GK | |||||
背番号 | 1 | |||||
利き足 | 右足 | |||||
ユース | ||||||
2001-2004 | モンテビデオ・ワンダラーズ | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
2004-2006 | モンテビデオ・ワンダラーズ | 44 | (0) | |||
2006-2007 | → ナシオナル (loan) | 5 | (0) | |||
2007-2011 | ラツィオ | 96 | (0) | |||
2011- | ガラタサライ | 401 | (1) | |||
代表歴2 | ||||||
2003 | ウルグアイ U-17 | 1 | (0) | |||
2004-2005 | ウルグアイ U-20 | 13 | (0) | |||
2009- | ウルグアイ | 133 | (0) | |||
1. 国内リーグ戦に限る。2024年3月21日現在。 2. 2022年6月16日現在。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
なお、ルーツがリグーリア州サヴォーナにあるため、イタリアのパスポートも有するイタリア系ウルグアイ人である。 PKに滅法強く、よくストップしている[1]。
モンテビデオ・ワンダラーズの下部組織で育ち、2004年にプロデビュー。2006年には同国の強豪クラブナシオナルに期限付き移籍した。
2007年8月28日、SSラツィオへ移籍金300万ユーロで移籍。9月16日のカリアリ・カルチョ戦でセリエAデビューを飾るが、10月6日のACミラン戦で5失点を喫し、大ベテランのマルコ・バロッタに正GKの座を奪われる[2]。
翌2008-09シーズンは、背番号を1番から自身の生年である86番に変更。シーズン後半にフアン・パブロ・カリーソに代わる守護神に昇格した。つづく2009-10シーズンと2010-11シーズンは年間を通じてゴールを守り、2009年にはコッパ・イタリア獲得に貢献。しかし、契約延長をめぐりクラブとの関係がこじれたため、2011年夏に移籍を決断する[3]。
2011年7月19日、トルコのガラタサライSKへ5年契約・移籍金675万ユーロで移籍[4]。期待通り1年目から正GKを務め、2011-12シーズン最終戦のマニサスポル戦ではサポーターの後押しを受けて試合終了間際にPKキッカーを務め、見事プロ初ゴールを挙げた。
2012年11月24日のエラズースポル戦では1点リードの後半44分にペナルティエリア内で相手選手を倒し退場。ガラタサライはすでに交代枠を使い切っていたため、ムスレラに代わって急きょキーパーを任されたMFのフェリペ・メロがPKを止め試合に勝利するという珍しい出来事があった[5]。
2009年10月10日、エクアドル代表とのアウェーゲームでウルグアイ代表デビュー。同年11月のW杯南アフリカ大会大陸間プレーオフではコスタリカ代表相手に好セーブを連発し、2試合で1失点に抑え、本大会出場を決めた。
2010 FIFAワールドカップ本大会ではグループステージ3試合すべてで無失点。PK戦へともつれたガーナ代表との準々決勝では2本をスーパーセーブし、ベスト4進出に貢献した[6]。
コパ・アメリカ2011でも正ゴールキーパーを務め、準々決勝のアルゼンチン代表戦ではPK戦でカルロス・テベスのシュートを阻止する活躍を見せるなど[7]、ウルグアイの6大会ぶりの優勝に貢献した。
2022 FIFAワールドカップ・南米予選では18試合中10試合に出場したが、判断ミスによる失点に故障も重なり、ディエゴ・アロンソ監督就任以降は、セルヒオ・ロシェにポジションを譲った。
2022年11月10日、カタールW杯に向けたメンバーの1人に選ばれた[8]ものの、ロシェからポジションを奪い返すことができず、グループリーグ最終節のガーナ戦では、PKを与えられなかったことにより得失点差で決勝トーナメントに進出出来なかったことに腹を立て、試合後にも両チームの選手たちが揉める事件を起こし、チームはグループステージ敗退となった。
2023年1月27日、FIFAはこの事件の主犯とされるムスレラ、ホセ・ヒメネスに対し、4試合の出場停止処分と、奉仕活動、2万スイスフラン(約280万円)の罰金が課されることとなった[9]。
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