フェリクス水道
イタリアのローマの水道施設 ウィキペディアから
イタリアのローマの水道施設 ウィキペディアから
フェリクス水道(フェリクスすいどう、ラテン語: Aqua felix)は、イタリア ローマにある、中世ルネサンス時代にローマ教皇シクストゥス5世により造られた水道。教皇の本名フェリックス・ペレッティ(ラテン語: Felix Peretti)に因んで名付けられた。日本語訳としてフェリーチェ水道と表記されることもある。
フェリクス水道 | |
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ラテン語: Aqua felix イタリア語: Acqua Felice | |
別名 | フェリーチェ水道 |
概要 | |
自治体 | ローマ |
国 | イタリア |
座標 | 北緯41度50分45.6秒 東経12度33分39.6秒 |
着工 | 1585[1] |
完成 | 1590 |
寸法 | |
幅 | 全長 24km |
技術的詳細 | |
構造方式 | 石造・コンクリート造建築 |
設計・建設 | |
建築家 | Giovanni Fontana, Domenico Fontana |
主要建設者 | ローマ教皇庁 |
カシリーナ街道沿いの水源パンターノ・ボルゲーゼ(Pantano Borghese)[1]から約24km離れたローマに水を供給していた。水源から13kmは地下を、その後ローマ・ヴェッキアで地上に出てアレクサンドリナ水道、クラウディア水道、マルキア水道の遺構の水道橋(連続アーチ橋)を改築再利用[1]してローマに達し、終端点のクイリナーレの丘のフェリクス水道の泉(モーゼの噴水)まで[1]繋がっていた。
建築家ドメニコ・フォンターナとジョバンニ・フォンターナの設計で造られたフェリクス水道により、6世紀までにローマ水道が破壊されたため水を得ることが難しくなっていた、主に修道院が建てられていたローマ南東部の丘陵地区に再び水を供給することが可能となった。1589年10月には教皇シクストゥス5世の私邸であったVilla Montaltoに給水が開始され、その後1589年には少なくとも27の泉に水が供給されるようになった。
フェリクス水道の泉の碑文と日本語意訳。
SIXTUS V PONT MAX PICENUS / AQUAM EX AGRO COLUMNAE / VIA PRAENEST SINISTRORSUM / MULTAR COLLECTIONE VENARUM / DUCTU SINUOSO A RECEPTACULO / MIL XX A CAPITE XXI ADDUXIT / FELICEMQ DE NOMINE ANTE PONT DIXIT
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