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パラスクス(学名:Parasuchus)は、後期三畳紀のインドに生息した、絶滅した初期の植竜類の属。全長は約2.5メートルと推定されている。吻部は現生のインドガビアルのように前側へ長く伸び、また鼻孔は吻部先端ではなく眼窩の直前に位置する。魚類を捕食していたと推測されるが、胃内容物として小型の四肢動物の骨の破片が得られており、陸上動物も捕食対象に取ったことが示唆される。マイケル・ベントンは著書『Vertebrate Palaeontology』において、パラスクスが陸上動物を襲って水中に引き摺り込んで捕食した可能性に言及している[1]。
パラスクスという名前は、トーマス・ヘンリー・ハクスリーが1870年に動物の一覧において初めて使用した。標徴が提示されていないため、この時点でのこの名は疑問名としての扱いになるはずのものである。正式に記載を行ったのは1885年のリチャード・ライデッカーであり、彼は P. hislopi を命名し、科の名前としてParasuchidae(パラスクス科)を提唱した。しかし、ライデッカーの記載はキメラ標本になっていたシンタイプに基づくものであり、無関係の複数の爬虫類の骨の組み合わせであった。植竜類の部分的な吻部や鱗甲および歯と、リンコサウルス類の頭蓋骨基部とが混ざっていたのである。1940年にフリードリヒ・フォン・ヒューネはこの頭蓋骨基部をパラダペドン・ハクスリーイ(現在のヒペロダペドン・ハクスリーイ)のものとして同定し、植竜類の骨要素については新たに命名した種 "aff." Brachysuchus maleriensis として分類した。後に、1958年にエドウィン・ハリス・コルバートがこのインドのパラスクス類の要素を Phytosaurus maleriensis に指定したが、Gregory (1962) はこの標本について標徴形質を示さないとした。
Sankar Chatterjeeは1978年にインド産パラスクス類の完全な化石を数多記載しており、それらがブラキスクス(アンギストリヌスに近縁あるいはシノニム)とフィトサウルス(疑問名、おそらくニクロサウルスとのシノニム)のいずれにも分類できないことを示した。彼はリンコサウルス類の頭蓋骨が P. hislopi のホロタイプとパラダペドン・ハクスリーイのレクトタイプのいずれにも該当しないと主張した。彼はライデッカーの吻部化石と保存の良い新たな要素に基づいて P. hislopi を再導入した[2]。さらなる混乱を防ぐため、標徴形質を示さない P. hislopi のホロタイプ標本はChatterjee (2001) の申請により、動物命名法国際審議会の許可を受けてネオタイプ標本 ISI R42に置換された[3]。
パラスクスは1885年にリチャード・ライデッカーが初めて記載しており、タイプ種はParasuchus hislopi である。属名は古代ギリシア語で「傍に」「近い」を意味する para/παραと古代エジプトの神セベクを踏まえて「ワニ」を意味する suchus に由来する。種小名 hislopi は1854年に Maleri village 付近の赤い粘土に注目したHislopへの献名であり、その地で当時のホロタイプ標本(後のネオタイプ標本ほか)が発見されている[4]。
ライデッカーが記載した部分的な前上顎骨 GSI H 20/11はSankar ChatterjeeによりParasuchus hislopi のレクトタイプ標本に選ばれている。GSI H 20/11 はアーンドラ・プラデーシュ州アーディラーバード県のMaleri villageの付近にて、Pranhita-Godavari盆地の下部マレリ層から収集された。その後、2003年にネオタイプ標本の化石が承認されたため、レクトタイプの指定は廃止されている[3]。
Sankar Chatterjeeは後に下部マレリ層から産出したより包括的な化石を記載したほか、ティキ層から産出したほぼ完全な頭蓋骨も記載し、Parasuchus hislopi として分類した。完全な頭蓋骨を含む完全かつ関節した2体の骨格もまた、アーディラーバード県のMutapyram villageにて下部マレリ層から収集された。両個体とも全長は約8メートルであり、並列に横たわっていた。左の個体 ISI R 42 は完全に保存されており、本種のネオタイプに指定された[3]。右の個体 ISI R 43 はほぼ完全であり、吻部の一部のみが失われている[2][5]。
当該の2個体の胃内容物と思われる遺骸として、2体の関節したほぼ完全な主竜様類 Malerisaurus robinsonae の骨格(いずれも ISIR 150 に指定)が発見されている[6]。ネオタイプと同一の産地からは、結合した基後頭骨-基蝶形骨(ISI R 45-47)が孤立して発見されている。産地から数マイル北方では、より保存の良い2個の頭蓋骨が発見されている。ISI R 160は孤立しているがほぼ完全な頭蓋骨であり、ISI R 161は部分的な頭蓋骨および関節した体骨格要素である[2]。最後に、ティキ層のティキスクスのホロタイプのサイト[7]から産出した1個の頭蓋骨は、吻部の先端と鱗状骨しか失われていない。本属のレクトタイプと同様に、この標本はパラダペドンの遺骸の付近で発見されている[2]。両層の年代は後期三畳紀の後期カーニアンから前期ノーリアンにあたり、約2億2250万年前から約2億1200万年前に相当する[7][8]。
関節した2つの骨格 ISI R 42-43 は既知の範囲内で最も完全な植竜類の骨格を代表する。加えて、植竜類の系統解析においてパラスクスは最も基盤的な植竜類の1つとされており、植竜類の起源を考える上で非常に重要である[9]。Chatterjee (1978) や Lucas et al. (2007) といったいくつかの研究では、パラスクスは他の基盤的植竜類であるパレオリヌスと同属異名(シノニム)の関係にあるとされる。この場合、Paleorhinus は Parasuchus が命名された19年後の1904年に命名されているため、学名 Parasuchus は Paleorhinus に対して優先権を持つ。Kammerer et al. (2016) が実施した系統解析では、Parasuchus hislopi は種 Paleorhinus bransoni と Paleorhinus angustifrons を含む最も包括的でない系統群の内部に位置付けられた。このためパラスクス属はパレオリヌス属(およびアルガナリヌス)のシニアシノニムとなり、種 Paleorhinus bransoni と Paleorhinus angustifrons および Arganarhinus magnoculus はパラスクス属に位置付けられる[5]。以下のクラドグラムはKammerer et al. (2016)に従う[5]。
パラスクス科 |
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