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バレ・ド・クール(フランス語:Ballets de cour, 宮廷バレエ)とは、16世紀・17世紀に宮廷で演じられていたバレエのこと。
バレ・ド・クール音楽の最も重要な作曲家で、この形式の発展に貢献したのは、ジャン=バティスト・リュリである。ルイ14世に王立音楽アカデミー監督として雇われていた間、リュリは、ピエール・ボーシャン、モリエール、フィリップ・キノー(Philippe Quinault)、ラフォンテーヌ嬢(Mademoiselle De Lafontaine)。最初のプロの女性ダンサーで パリ・オペラ座バレエのプルミエ・ダンスーズ)らとともに、付随音楽同様にバレエを1つの芸術形式として発展させることに努めた。
王立舞踏アカデミー(Académie Royale de Danse)監督でバレエの指導者だったボーシャンは、トワノ・アルボの1588年の『オルケゾグラフィ』に基づいて「5つの足のポジション」(Position classique参照)を体系化した。ダンスの技術面を強調することで、ボーシャンはバレエ技術の最初のルール作りに着手した。足の回転、軽い衣装、女性ダンサー、長いダンス・シークエンス(これらすべては1697年の『優雅なヨーロッパ』(L'Europe galante)に見られる)は、軽いしなやかな履き物とともに、前ロマン派時代に至るバレエのターニング・ポイントとなった。ピエール・ラモーは1725年の『Le Maître à Danser』の中で、ボーシャンの体・足・ポジションの動きを詳述した。
バレ・デ・クールは18世紀になるとコメディ=バレ(Comédie-ballet )ならびにオペラ=バレに発展した。これはバレエをフィーチャーしたまったくのオペラの形式だった。ジャン=フィリップ・ラモーの『優雅なインドの国々』(Les Indes galantes、1735年)は、社交ダンス(ボールルーム・ダンス)・バレエへの分岐のきっかけとなった作品と考えられている。
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