Remove ads
ウィキペディアから
バディ・リッチ[1](Buddy Rich、1917年9月30日 - 1987年4月2日)は、アメリカ合衆国のジャズ・ドラマー、バンドリーダー。
細かく刻んだ音符を、速く正確に叩く超絶技巧を得意とし、長時間演奏してもグルーブ感が損なわれないのが特長である。アメリカではビッグバンド・ジャズの新境地を開いた人物、およびビバップの誕生に協力したジャズ・マンとして尊敬されている。
1917年9月30日、ニューヨーク州ブルックリンに生まれる。ヴォードヴィリアン(ヴォードヴィルの芸人)であるユダヤ系アメリカ人を親にもつ。父親はリッチがスプーンで正確なリズムを刻んでいることに気付き、1歳よりドラムスティックを持たせ、1歳半でヴォードヴィルにて演奏し始めた。タップダンスの才能も開花するようになる。彼は譜面が読めず、ドラムの専門的な知識もなかったが、11歳でバンドリーダーとしても活動を始めた。
1937年、ジョー・マーサラ楽団に加入し、1940年代にかけてバニー・ベリガン、アーティ・ショウ、トミー・ドーシー等のスウィング・ジャズ・バンドで活動した。1947年にはチャーリー・パーカー、ディジー・ガレスピーらによるアルバム『バード・アンド・ディズ』の録音に参加[2]、同作品は、ビバップの誕生を告げたアルバムのひとつとなる。1950年代にはハリー・ジェイムス楽団、カウント・ベイシー楽団等のゲスト・スタードラマーとしても活動した。1959年心臓発作に見舞われ入院、医師よりドラムを止めるように言われたが、退院後まもなくドラムを再び演奏し始めた。
1966年に自楽団を結成し、以後、晩年までドラマー兼バンドリーダーとして活動。1970年代にはファンク色の強い音を打ち出し、ジャズ・ファンクやレア・グルーヴのファンからも人気を得た。
1987年4月2日、ロサンゼルスで死去した。
死後も多くのアーティストに影響を及ぼし続けている。1994年と1997年に発売されたトリビュート・アルバム2部作には、マックス・ローチ、ビリー・コブハム、オマー・ハキム、スティーヴ・スミス、ビル・ブルーフォード、ニール・パート、スティーヴ・ガッド、サイモン・フィリップス、ヴィニー・カリウタ、デイヴ・ウェックル、マット・ソーラム等人気ドラマーが集結した。
2008年10月、ニューヨークで行われたトリビュート・コンサートには、テリー・ボジオ、チャド・スミス、ピーター・アースキン、ニール・パートなどといった、ジャンルを超えた名ドラマーが集結した。
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Every time you click a link to Wikipedia, Wiktionary or Wikiquote in your browser's search results, it will show the modern Wikiwand interface.
Wikiwand extension is a five stars, simple, with minimum permission required to keep your browsing private, safe and transparent.