バタンガス
フィリピンの都市 ウィキペディアから
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バタンガス市 (フィリピン語: Lungsod ng Batangas)はフィリピン共和国のルソン島のカラバルソン地方のバタンガス州の州都且つ最大都市である。「カラバルソン地方の工業港」として知られる。都市化速度が最も速い都市の1つである。2010年時点で人口は約30.6万人。 [3]
バタンガス | |
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独立市 | |
バタンガス市のポブラシオンの風景 | |
愛称: 「カラバルソンの工業港」 「過去・現在・未来のエコ観光都市」 | |
標語: Eto Batangueño Disiplinado | |
バタンガスのバタンガス州内の位置 | |
北緯13度45分 東経121度03分 | |
国 | フィリピン共和国 |
地方 | カラバルソン地方 |
州 | バタンガス州 |
設立 | 1581年 |
市制 | 1969年7月23日 |
バランガイ | 105 |
政府 | |
• 市長 | Eduardo B. Dimacuha(国家人民連合(NPC)) |
• 副市長 | Emilio Francisco A. Berberabe Jr.(統一国家同盟(UNA)) |
面積 | |
• 合計 | 282.96 km2 |
標高 | 10 m |
人口 (2010)[3] | |
• 合計 | 305,607人 |
• 密度 | 1,100人/km2 |
族称 |
Batangueño (male) Batangueña (female) |
等時帯 | UTC+8 (PST) |
1581年、スペイン人は現在の州庁舎周辺を統治した。巨大な丸太(バタン)が豊富な事から「バタンガン」と呼ばれ始めた。スペイン政府はドン・アグスティン・カシラオをバタンガンの初代en:gobernadorcilloに任命した。
1941年12月12日、日本軍の爆撃によりバタンガスは大きな被害を受けた。
1943年10月14日、フィリピン第二共和国の樹立後、日本はロマン・L・ペレズを市長に指名した。
1944年3月11日、アメリカ軍がバタンガスを再占領した。バタンガスを足掛かりにアメリカ軍はケソン州を侵略した。フィリピン人ゲリラは戦いに大きく貢献した。 [4][5][5]
2008年1月19日、バタンガス市国際貨物港第二工期が開始された。
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