ハンス=ユルゲン・デルナー

東ドイツのサッカー選手 (1951-2022) ウィキペディアから

ハンス=ユルゲン・デルナー

ハンス=ユルゲン・デルナードイツ語: Hans-Jürgen Dörner1951年1月25日 - 2022年1月19日)は、ドイツ民主共和国の元サッカー選手、ドイツ民主共和国とドイツ連邦共和国の元サッカー指導者。元ドイツ民主共和国代表。選手時代のポジションはDF

概要 ハンス=ユルゲン・デルナー, 名前 ...
ハンス=ユルゲン・デルナー
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名前
本名 ハンス=ユルゲン・デルナー
ラテン文字 Hans-Jürgen Dörner
基本情報
国籍 ドイツ
生年月日 (1951-01-25) 1951年1月25日
出身地 ザクセン自由州ゲルリッツ
没年月日 (2022-01-19) 2022年1月19日(70歳没)
身長 175cm
選手情報
ポジション DF
ユース
1959-1960 エネルギー・ゲルリッツ
1960-1967 モトル・ゲルリッツ
1967-1968 ディナモ・ドレスデン
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1968-1985 ディナモ・ドレスデン 392 (65)
代表歴2
1968-1969  東ドイツ U-18 17 (2)
1969-1974  東ドイツ U-23 16 (0)
1971-1976  東ドイツ 五輪 10 (4)
1969-1985  東ドイツ 100 (9)
監督歴
1985-1990  東ドイツ U-23
1996-1997 ヴェルダー・ブレーメン
1998-1999 ツヴィッカウ
2000-2001 アル・アハリ
2001-2003 VfBライプツィヒ
2007-2009 ラーデボイラー
2013-2017 アインハイト・ドレスデン=ミッテ
1. 国内リーグ戦に限る。2023年1月1日現在。
2. 2023年1月1日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj
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SGディナモ・ドレスデン一筋でプレーし、同クラブの黄金期を主将として支えたクラブ史上最大のレジェンドプレーヤーであった。また、ドイツ民主共和国全体で見ても、ユルゲン・クロイとともに二人しかいない年間最優秀選手賞を3回獲得した名選手であった。

クラブ歴

1967年にSGディナモ・ドレスデンの下部組織に加入し、翌年にトップチームに昇格した。同クラブ一筋でプレーしたワンクラブマンで、DDRオーバーリーガ5回、FDGBポカール5回のタイトルを獲得した。1977年から引退する1985年迄の間は主将を務め、UEFAカップ1975-76UEFAチャンピオンズカップ 1976-77UEFAチャンピオンズカップ 1978-79UEFAカップウィナーズカップ 1984-85UEFAカップウィナーズカップ 1985-86の5大会で準決勝に進出し、クラブの黄金期を支えた。なお、彼が選手として在籍している間にオーバーリーガでトップ3を逃した事は1982-83シーズンの一回のみであった。オーバーリーガでの記録は合計392試合65得点で、ディフェンダーとしてはリーグ最多記録である[1]

1999年にはクラブ史上最も偉大な選手に選出された。

代表歴

1969年6月22日に行われたチリ代表との親善試合で代表初出場[2]。1974年2月26日のチュニジア代表との親善試合で代表初得点を記録した[2]。1976年にはモントリオールオリンピックに出場し金メダルを獲得した。1977年以降は主将として活躍した。代表最後の試合は1985年5月18日の1986 FIFAワールドカップ・予選ルクセンブルク代表戦で、合計100試合9得点の記録を残した[3]

指導歴

選手引退後はそのままディナモ・ドレスデンで下部組織の監督に就任した。その後、ドイツ民主共和国代表のコーチも務めた。

ドイツ統一後は1996年1月から翌年8月20日迄ヴェルダー・ブレーメンの監督を務めた。その後、FSVツヴィッカウアル・アハリVfBライプツィヒの監督を務めた。

私生活

息子と孫もアマチュアのサッカー選手であった[4][5]

2022年1月19日に歿した[6]

参考文献

外部リンク

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