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アメリカ合衆国の俳優 (1884 - 1957) ウィキペディアから
ハリソン・フォード(Harrison Ford, 1884年3月16日 - 1957年12月2日)は、アメリカ合衆国の俳優である[1]。1942年生まれで同姓同名の同国俳優ハリソン・フォードとの血縁関係はない。
ミズーリ州カンザスシティ生まれ[1]。当初のキャリアは舞台俳優で、満20歳を迎える1904年初頭、ニューヨーク・ブロードウェイのハドソン劇場の舞台に立ち、Ranson's Folly に出演した記録がある[2]。1909年3月29日、舞台女優のベアトリス・プレンティスと結婚する[3]。1915年秋に Rolling Stones で同じくブロードウェイのハリス劇場に立ったのが、舞台での最後の記録である[2]。同年12月31日に公開されたヘンリー・W・サヴェジ監督のサイレント映画 Excuse Me に出演し、映画界に転向する[1]。
1917年、ユニヴァーサル・フィルム・マニュファクチュアリング・カンパニー(現在のユニバーサル・ピクチャーズ)傘下に前年設立のブルーバード映画で、ロイス・ウェバー監督の『予言者』にのみ主演し[1]、同作は日本でも公開された[4]。同年から、ジェシー・L・ラスキー・フィーチャー・プレイ・カンパニー(フェイマス・プレイヤー=ラスキー)で、ヴィヴィアン・マーティン、コンスタンス・タルマッジらの相手役を務め、1918年にはパラマウント映画に移籍している[1]。以降も、ワンダ・ホウリー、ビーブ・ダニエルズ、ノーマ・タルマッジ、マリオン・デイヴィス、マリー・プレヴォー、と多く主演女優の相手役を務める[1]。
1929年、レスリー・ピアス監督の Her Husband's Women で主演のロイス・ウィルソンの相手役を務め、初めてのトーキー出演を果たす[1]。同年、ヴァイタフォン録音による作品 The Flattering Word に主演後は、しばらく映画出演から遠ざかる[1]。1932年、3年ぶりにカムバックし、フランク・R・ストレイヤー監督のトーキー Love in High Gear に主演したが、最後まで「主演男優」のまま、同作をもって48歳で引退した[1]。
1951年9月13日、不慮の交通事故に遭い、その負傷を完治せぬまま、1957年12月2日、カリフォルニア州ロサンゼルス郡ロサンゼルス市ウッドランド・ヒルズで死去した[1]。73歳没。同郡グレンデールにあるフォレスト・ローン・メモリアル・パークに眠る[5]。映画業界への貢献により、ロサンゼルス市内のハリウッド大通り6667番地にハリウッド・ウォーク・オブ・フェームの星を刻む[1]。
すべて出演作である[1]。
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