新カメルーン

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新カメルーン

新カメルーンノイカメルーンドイツ語:Neukamerun)は、1911年フランス共和国からドイツ帝国に割譲された、アフリカ中央の領域。現在のチャド中央アフリカ共和国コンゴ共和国ガボンの一部に相当する。

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公用語 ドイツ語
首都 不明
皇帝
1911年 - 1916年 ヴィルヘルム2世
変遷
不明 xxxx年xx月xx日
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新カメルーン
Neukamerun (ドイツ語)
フランス領コンゴ 1911年 - 1916年 フランス領赤道アフリカ
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  新カメルーン
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1901年~1972年のカメルーンの領域の変遷

歴史

1907年ドイツ領カメルーン総督のテオドール・ザイツ英語版は、フランス領コンゴの領有を主張した[1]。ドイツ領カメルーンから外洋に繋がる大河はコンゴ川しか無く、カメルーンより東の領域を獲得する事で、コンゴ川を更に活用出来ると考えた[2]

1911年4月、モロッコの侵略権で対立していたフランスとドイツの間で第二次モロッコ事件が発生した。フランス側にはイギリス帝国ベルギーが付いていた。7月9日、両国は交渉を行う事を合意した。11月4日フェス条約が結ばれた。ドイツはフランスがモロッコを支配する事を認める代わりに、フランス領コンゴの一部と、[3]カメルーン北部のロゴーヌ川シャリ川の間の地域を獲得し、新カメルーンとした。新カメルーンは直ちにドイツ保護領カメルーンに併合され、ドイツ保護領カメルーンの面積は46.5万km²から76万km²に増加した[3]。この取引に対してドイツ本国で議論が発生し、反対派は新領土から得られる利益は少ないと主張した。この問題を受けて、植民地長官が辞任した[3]

1914年第一次世界大戦が始まり、フランスはこの領域を再獲得しようと試みた[4]

1916年、フランスはカメルーンからドイツを駆逐し、委任統治領とした。フランス領赤道アフリカには統合しなかった。

脚注

関連資料

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