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1879年就役のイギリス海軍の砲塔装甲艦 ウィキペディアから
ドレッドノート (HMS Dreadnought) は、イギリス海軍の砲塔装甲艦。その名を持つ艦としては5隻目。
艦歴 | |
---|---|
発注 | ウェールズ ペンブルック造船所 |
起工 | 1870年9月10日 |
進水 | 1875年3月8日 |
就役 | 1879年2月15日 |
退役 | 1905年 |
除籍 | 1908年 |
その後 | 1908年7月にスクラップとして廃棄 |
前級 | デヴァステーション級装甲艦 |
次級 | ネプチューン |
性能諸元(竣工時) | |
排水量 | 10,866トン |
全長 | 105m |
水線長 | |
全幅 | 19.4m |
吃水 | 8.2m |
機関 | ボイラー12基+蒸気機関2基2軸推進 |
最大出力 | 8,210shp |
最大速力 | 14.52ノット(機関航行時) |
航続距離 | 10ノット/5,700海里(機関航行時) |
燃料 | 石炭 |
乗員 | 369名 |
兵装 | 31.8cm前装填式連装砲2基 |
装甲 | 装甲帯: 甲板: 砲塔: 司令塔: |
当初はフューリー (Fury) の艦名で1870年に起工する。オリジナル設計案から装甲が強化され、速度の向上も図られた。艦はドレッドノートに改名され、1872年にペンブルック・ドックで改めて起工、1875年3月に進水、1879年にポーツマスで竣工した。
ドレッドノートは4門の砲を2門ずつ2基の砲塔に搭載し、重装甲および低い艦舷を持ち、帆索具は装備していなかった。副砲は小口径であったが、その経歴において様々に変更された。
竣工後ドレッドノートは1884年まで予備役に置かれ、その後地中海での任務を命じられた。
ドレッドノートは1897年から99年にかけて部分的に近代化が行われ、1900年から1901年にかけて二級戦艦として英国艦隊の活動に従事した。1902年からは補給艦として運用された。1905年に退役し、1908年7月にスクラップとして売却された。
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