トマス・ブルース (第2代アイルズベリー伯爵)

ウィキペディアから

トマス・ブルース (第2代アイルズベリー伯爵)

第2代アイルズベリー伯爵および第3代エルギン伯爵トマス・ブルース英語: Thomas Bruce, 2nd Earl of Ailesbury and 3rd Earl of Elgin1656年1741年12月16日)は、イングランド王国の政治家、貴族。第2代エルギン伯爵ロバート・ブルース英語版とダイアナ・グレイの息子であり、母方の祖父母は初代スタンフォード伯爵ヘンリー・グレイ英語版とアン・セシル(第2代エクセター伯爵ウィリアム・セシルの娘)である。第2代アイルズベリー伯爵の回想録は死後150年ほど経過した19世紀末に出版され、17世紀末のイングランド史における重要な文献となっている。

Thumb
第2代アイルズベリー伯爵および第3代エルギン伯爵の肖像画、1738年作。

生涯

第2代エルギン伯爵ロバート・ブルース英語版とダイアナ・グレイの息子として、1656年に生まれた[1]

1度目の結婚によりウィルトシャーにおける影響力を得て、1679年10月イングランド総選挙英語版マールバラ選挙区英語版から出馬して当選した[2]。その後、1685年1月に5,000ポンドで寝室侍従英語版の職を購入したが、2月に国王チャールズ2世の死とともに職を失った[2]。直後の1685年イングランド総選挙ではウィルトシャー選挙区英語版で当選した[2]

名誉職では1679年から1685年までベッドフォードシャー副統監を務めた後、ベッドフォードシャー統監に昇進、1689年まで務めた[2]。また、1685年にはハンティンドンシャー副統監にも任命され、同年に統監に昇進した後1689年まで務めた[2]。また、1685年から1689年までケンブリッジシャー副統監を務めた[2]

1685年10月20日に父が死去すると、アイルズベリー伯爵エルギン伯爵の爵位を継承した[1]。直後から1688年12月まで寝室侍従を務めた[2]名誉革命ではオラニエ公ウィレム3世がイングランドに向けて進軍を開始した後もジェームズ2世を支援した数少ない貴族の1人であり[1]、その後はウィリアム3世への忠誠の誓いに応じたが、すぐにジャコバイトになり、1696年のウィリアム3世暗殺未遂事件に関わって[2]1696年2月にロンドン塔に投獄された[3]

1698年に海外追放という形で釈放され[4]、フランドル地方に移住してカトリックに改宗したが[2]、息子チャールズはイギリスに残り、1700年代に庶民院議員を務めた[4]。1741年12月16日に死去、ブリュッセルで埋葬された[1]

家族

1676年8月31日[5]、エリザベス・シーモア(1697年没、ヘンリー・シーモア英語版の娘)と結婚した[6]

1700年4月27日、ブリュッセルでデスヌー女伯爵シャルロット・ダルジャントー英語版(1710年7月23日没)と再婚、1女を儲けた[1]

  • マリー・テレーズ英語版(1704年 – 1736年) - マクシミリアン・エマニュエル・ド・オルヌ英語版と結婚、子供あり[6]

脚注

Loading related searches...

Wikiwand - on

Seamless Wikipedia browsing. On steroids.