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第2代アイルズベリー伯爵および第3代エルギン伯爵トマス・ブルース(英語: Thomas Bruce, 2nd Earl of Ailesbury and 3rd Earl of Elgin、1656年 – 1741年12月16日)は、イングランド王国の政治家、貴族。第2代エルギン伯爵ロバート・ブルースとダイアナ・グレイの息子であり、母方の祖父母は初代スタンフォード伯爵ヘンリー・グレイとアン・セシル(第2代エクセター伯爵ウィリアム・セシルの娘)である。第2代アイルズベリー伯爵の回想録は死後150年ほど経過した19世紀末に出版され、17世紀末のイングランド史における重要な文献となっている。
第2代エルギン伯爵ロバート・ブルースとダイアナ・グレイの息子として、1656年に生まれた[1]。
1度目の結婚によりウィルトシャーにおける影響力を得て、1679年10月イングランド総選挙でマールバラ選挙区から出馬して当選した[2]。その後、1685年1月に5,000ポンドで寝室侍従の職を購入したが、2月に国王チャールズ2世の死とともに職を失った[2]。直後の1685年イングランド総選挙ではウィルトシャー選挙区で当選した[2]。
名誉職では1679年から1685年までベッドフォードシャー副統監を務めた後、ベッドフォードシャー統監に昇進、1689年まで務めた[2]。また、1685年にはハンティンドンシャー副統監にも任命され、同年に統監に昇進した後1689年まで務めた[2]。また、1685年から1689年までケンブリッジシャー副統監を務めた[2]。
1685年10月20日に父が死去すると、アイルズベリー伯爵とエルギン伯爵の爵位を継承した[1]。直後から1688年12月まで寝室侍従を務めた[2]。名誉革命ではオラニエ公ウィレム3世がイングランドに向けて進軍を開始した後もジェームズ2世を支援した数少ない貴族の1人であり[1]、その後はウィリアム3世への忠誠の誓いに応じたが、すぐにジャコバイトになり、1696年のウィリアム3世暗殺未遂事件に関わって[2]1696年2月にロンドン塔に投獄された[3]。
1698年に海外追放という形で釈放され[4]、フランドル地方に移住してカトリックに改宗したが[2]、息子チャールズはイギリスに残り、1700年代に庶民院議員を務めた[4]。1741年12月16日に死去、ブリュッセルで埋葬された[1]。
1676年8月31日[5]、エリザベス・シーモア(1697年没、ヘンリー・シーモアの娘)と結婚した[6]。
1700年4月27日、ブリュッセルでデスヌー女伯爵シャルロット・ダルジャントー(1710年7月23日没)と再婚、1女を儲けた[1]。
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