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デビッド・テイラー(David Merritt Taylor 1949年10月17日- )はノースカロライナ州ステイツビル出身の元アメリカンフットボール選手。ポジションはオフェンシブタックル。
チャペルヒル高校時代はアメリカンフットボールと投擲競技をしていた[1]。ノースカロライナ大学、クレムゾン大学などからも注目されていたが高校3年の時に足首を負傷したためカタウバ大学以外からはリクルーティングされず同大学に進学しアメリカンフットボールではオフェンシブタックルとパンターを務めて、砲丸投も行った[1]。大学3年の時にひざを痛めて医師より2度とアメリカンフットボールはできなくなると言われたが翌シーズン怪我から回復してNAIAのファーストチームに選ばれた[1]。
1973年のNFLドラフト5巡目でボルチモア・コルツに指名されて入団した。彼が入団した当時のコルツはジョニー・ユナイタスやジョン・マッキーらによる全盛期が過ぎチームの再建期にあたり同じ年のドラフト4巡ではルイジアナ州立大学のQBバート・ジョーンズが指名されていた[1]。1974年からQBのブラインドサイドを守るキーマンである先発レフトタックルとして先発出場するようになった[1]。彼が入団してから2年間はチームは低迷したがハワード・シュネレンバーガーからテッド・マーチブローダにヘッドコーチが交代した1975年から1977年までの3年間でチームは31勝11敗の好成績をあげた。テイラーのパスプロテクションで十分な時間をもらったジョーンズはダウンフィールドのロジャー・カー、グレン・ドーティー、オープンになったライデル・ミッチェル、ルーズベルト・リークス、ドン・マカウリーらにパスを通し続けた[1]。怪我のため1978年シーズンを棒に振るった彼は1979年復帰したがその年で現役を引退した[1]。
当時NFLを代表するディフェンスラインマンであったピッツバーグ・スティーラーズのミーン・ジョー・グリーンをノックアウトしたこともある[1]。
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