デビッド・アルダナ
ウィキペディアから
ウィキペディアから
デビッド・アルダナ(David Aldana, 1949年11月26日 - )はアメリカ合衆国カリフォルニア州サンタアナ出身の元オートバイレーサーである。ダートトラックレースやロードレースで活躍した。
アルダナはそのワイルドなライディングスタイルと奇抜なレーシングウェアによって、1970年代のAMAグランドナショナル選手権において最も華やかなレーサーの一人として記憶されている[1]。モトクロスやスピードウェイレースを含む、ほとんどあらゆるカテゴリのレースに出場経験を持つライダーである[1]。
1970年、BSAのマシンでAMAグランドナショナル選手権にデビューしたアルダナは、ルーキーでありながらタイトル争いに絡む活躍を見せた[1]。サクラメントのマイルレースでのクラッシュによって3戦を残してタイトルの望みを絶たれてしまったものの、3勝を挙げてランキング3位に食い込んだのである[1]。優勝かリタイヤか、という派手なレース運びは多くのファンを獲得した。
また、自らデザインした、前面に骸骨をあしらったレザースーツでも有名である。このスーツは悪趣味であるとの物議を醸し、AMAのオフィシャルはアルダナがこのスーツを着用してレースに出場するのであれば1ポイントを剥奪するとの宣言まで出した[1]。
1970年代後半になるとアルダナは活躍の場をロードレースに集中させるようになった。
1975年にはロードレースにおける米英対抗戦であるトランス・アトランティック・マッチレースにアメリカチームのエースとして出場し初勝利に貢献した[2]。
1975年からスズキのワークスライダーとして走った後、1980年には若きエディ・ローソンのチームメイトとしてカワサキのAMAスーパーバイクチームに加わった。
また、ホンダ・ワークスの一員としてボルドール24時間を初めとするFIM世界耐久選手権にも出場した。1981年にはマイク・ボールドウィンとのペアで鈴鹿8時間耐久レースに優勝している[3]。
8耐にはその後も出場しており、1982年の豪雨の中のレースではホームストレートで転倒、濡れた路面を滑走してメインスタンド前を駆け抜けるというシーンを演じた(転倒にもかかわらずレースは6位完走)[4]。
アルダナはいくつかの大きな国際レースに出場するかたわらAMA選手権で通算4勝を挙げ、1999年にはAMAモーターサイクル殿堂入りを果たした[1]。
年 | チーム | ペアライダー | 車番 | マシン | タイヤ | 予選順位 | 予選タイム | 決勝順位 | 周回数 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1979 | ホンダ・アメリカ | デイル・シングルトン | 5 | ホンダ・RS1000 | D | 5 | 2'20”67 | Ret | 138 |
1980 | モリワキレーシング | デビッド・エムデ | 16 | カワサキ・Z1 | D | 2 | 2'17”69 | Ret | 74 |
1981 | ホンダ・フランス | マイク・ボールドウィン | 1 | ホンダ・RS1000 | D | 6 | 2'18”34 | 1位 | 199 |
1982 | Team 伊太利屋SPORT ヨシムラR&D | ウェス・クーリー | 12 | ヨシムラ・TESTAROSSA1000R | D | 4 | 2'18”41 | 6位 | 116 |
1983 | MOTO ELF | クリスチャン・ル・リアール | 8 | elf-e ホンダ | D | 9 | 2'28”55 | Ret | 32 |
1984 | Bruce Sass | 10 | ホンダ・VF750F | 61 | 2'39”80 | Ret | 34 |
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Every time you click a link to Wikipedia, Wiktionary or Wikiquote in your browser's search results, it will show the modern Wikiwand interface.
Wikiwand extension is a five stars, simple, with minimum permission required to keep your browsing private, safe and transparent.