デイル郡 (アラバマ州)
アラバマ州の郡 ウィキペディアから
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デイル郡(英: Dale County)は、アメリカ合衆国アラバマ州の南東部に位置する郡である。2010年国勢調査での人口は50,251人であり、2000年の49,129人から2.3%増加した[1]。郡庁所在地はオザーク市(人口14,907人[2])であり、同郡で人口最大の都市でもある。アメリカ陸軍航空研究拠点ラッカー砦の大部分が郡内にある。郡名はサミュエル・デイル将軍に因んで名付けられた。
デイル郡は1郡のみでオザーク小都市圏を形成している。
デイル郡となった地域には、昔からクリーク族インディアンの構成員が住んでおり、アラバマ州の南東部を全て占領していた。1814年のジャクソン砦条約でクリーク戦争を終わらせ、デイル郡周辺地域はアメリカ合衆国に割譲された。この戦争中にチョクトーハチー川北西に小型要塞が建設されており、1820年頃には戦争の退役兵が入植を始め、地域初の非インディアン住人となった[3]。
デイル郡は1824年12月22日に設立された。当初の領域には、現在西のコフィー郡と南のジェニーバ郡となっている土地の全域、さらにヒューストン郡のパンハンドル部までが含まれていた。当初の郡庁所在地はデイルズコートハウス(現在のデイルビル)にあったが、1841年にコフィー郡が分離したときにニュートンに移された。1869年に郡庁舎が火事で焼け、1870年には郡南側3分の1からジェニーバ郡が設立されると、郡庁所在地はオザークに移されて現在まで続いている。1903年、郡南東部の小部分が新設ヒューストン郡に付加された。
南北戦争を通じて傑出した働きをしたアラバマ第15歩兵連隊の一部はデイル郡で徴募されたものであり、E中隊の全員とH中隊の一部が該当した。1863年7月2日のゲティスバーグの戦いの時、リトルラウンドトップにいた北軍メイン第20連隊と対峙したのがこの連隊だった。北軍の陣地に何度か突撃を掛けたが攻略できず、最後は北軍メイン第20連隊長ジョシュア・チェンバレン大佐が率いた銃剣突撃によって撤退を強いられた[4]。この激戦の様子は1993年にロナルド・F・マクスウェルが制作した映画『ゲティスバーグ』で生き生きと再現された。
アメリカ合衆国国勢調査局に拠れば、郡域全面積は562.67平方マイル (1,457.3 km2)であり、このうち陸地561.07平方マイル (1,453.2 km2)、水域は1.60平方マイル (4.1 km2)で水域率は0.28%である[5]。
年 | 人口 | %± | |
---|---|---|---|
1830 | 2,031 | — | |
1840 | 7,397 | 264.2% | |
1850 | 6,382 | −13.7% | |
1860 | 12,197 | 91.1% | |
1870 | 11,325 | −7.1% | |
1880 | 12,677 | 11.9% | |
1890 | 17,225 | 35.9% | |
1900 | 21,189 | 23.0% | |
1910 | 21,608 | 2.0% | |
1920 | 22,711 | 5.1% | |
1930 | 23,175 | 2.0% | |
1940 | 22,685 | −2.1% | |
1950 | 20,828 | −8.2% | |
1960 | 31,066 | 49.2% | |
1970 | 52,995 | 70.6% | |
1980 | 47,821 | −9.8% | |
1990 | 49,633 | 3.8% | |
2000 | 49,129 | −1.0% | |
2010 | 50,251 | 2.3% | |
2011(推計) | 50,044 | −0.4% | |
U.S. Decennial Census 2011 estimate through 1960 |
基礎データ
人種別人口構成
言語による構成[6] |
年齢別人口構成
世帯と家族(対世帯数)
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収入収入と家計 |
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