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テヘラン州(テヘランしゅう、ペルシア語: استان تهران, ラテン文字転写: Ostān-e Tehrān)は、イランの州(オスターン)。面積は18,909km²。イラン高原の北部に位置し、北にマーザンダラーン州、東にセムナーン州、南にゴム州、西にガズヴィーン州と境を接する。州都テヘランはイラン・イスラーム共和国の首都。2005年6月現在、テヘラン州は管下に13郡(シャフレスターン)、43地域行政区(バフシュ)、1358村(デフ)を擁する。
テヘラン州は1778年にガージャール朝の首都となり、以来イラン枢要の都市である。今日、テヘラン都市圏は世界大都市圏の上位20位に入る。
テヘラン州の人口は1300万人を超え、イランで最も人口稠密な地域である。住民は約84.15%が都市部で、15.85%が農村部で生活している。
標高は、最高地点がダマーヴァンド山の5,678m、最低地点がヴァラーミーン平原の790mである。
州内の河川のうち大きなものはキャラジュ川とジャージュ・ルード川である。
北のアルボルズ山脈をはじめとして、北東にサーヴァード、フィールーズ、南にはラヴァーサーナート、カラ・ダーグ、 シェミーラーナート、ハサナーバード、ナマクが、南東にはビービー・シャフル・バーヌー、アルガードゥルが、東にはもっとも標高の高いガスレ・フィールーズの山々がある。
気候は南部では温暖で乾燥しているが、山地では冷涼でやや湿潤の度を増す。高地の冬は長く寒さが厳しい。最も暑い時季は7月中旬から9月中旬で28℃から30℃、最も寒いのは12月から1月にかけてで1℃程度まで下がる。テヘラン市街の冬は穏やかだが、夏は暑い。年間平均降水量は約400mm。降水量が多いのは冬である。
テヘラン州には数千年前からの定住を示す複数の考古学遺跡があり、17世紀まではレイが州内で最も有名な都市であった。
しかし、テヘランはその後、急成長して大都市となり、1778年には首都になった。以来、イランの政治、文化、経済、商業の中心である。19世紀以降、著名な学者、作家、詩人、芸術家がテヘランに生まれ、あるいは生活を営んだ。
イラン文化遺産機構に登録された史跡は1,500以上、もっとも古いものは紀元前第4千年紀にさかのぼるフィールーズクーフの2つの遺跡である。
今日のテヘラン州はイラン商業における中心地となっている。事業所は17,000以上、イラン全体の26%以上で雇用人口は約390,000人である。テヘラン州の経済規模はイラン経済全体の30%を占め、消費者市場では40%近くになる。[1]
ラティヤーン・ダム、ラール・ダム、アミール・キャビール・ダムの3つのダムとジャバーン、タールの2つの自然湖が水利資源となっている。州内には170の鉱山があり、森林は330km²、牧草地は12,800km²である。[1]
一年を通じて、アルボルズ山脈の南斜面の山々と渓谷、湖やダム湖がテヘラン州の行楽地となっている。さらに州北部は冬季に積雪、アルボルズの山々はウィンタースポーツに絶好の環境となる。ディーズィーン、シェムシャク、トチャールなどのスキー・リゾートが人気を集めている。
テヘラン州には以下のような旧跡・観光地がある。
数十の伝統家屋建築が今日まで残されているが、ほとんどはガージャール朝代のものである。
ほかにも公開されている旧建築は多い。たとえばニマー・ユーシージュ家、モハンマド・モサッデグ家、アーヤトッラー・ターレガーニー家、ガヴァーモッドウレ家、エマーム・ホメイニー家、マフムード・ヘッサービー家など。
テヘラン周辺には多くの古代考古学遺跡が残されている。その中でも以下のようなものが有名。
テヘランの都市景観はパフラヴィー朝治下に激変した。今日に残る古い街区はアラージャーン、サングラジュ、バーザール、チャーレ・メイダーン、ドウラトである。この中でチャーレ・メイダーンがもっとも古い。
テヘラン州の主要大学は以下の通り。
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[1]は上記のテヘラン州政府の情報に拠った。
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