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第3代カーライル伯爵チャールズ・ハワード(英語: Charles Howard, 3rd Earl of Carlisle, PC, 1669年? - 1738年5月1日)は、イングランド及びイギリスの政治家、貴族。ホイッグ党に所属し、ステュアート朝末期からハノーヴァー朝初期にかけて第一大蔵卿を2度務めた(在職:1701年 - 1702年、1715年)。
1669年[注釈 1]、後に第2代カーライル伯爵となるエドワード・ハワードとその夫人エリザベス(旧姓ウウェデール)の長男として生まれる[2]。
1689年[注釈 2]から貴族院へ移籍する1692年までモーペス選挙区選出のホイッグ党所属の庶民院議員を務め[1][2]、1692年4月23日に父の死去によりカーライル伯爵位を継承し、貴族院へ移籍した[1][2]。
1694年から1712年にかけてカンバーランド知事とウェストモアランド知事を務めた[1][2]。1700年から1702年にかけて国王の寝室侍従(bedchamber)を務めた[1][2]。1701年12月から1702年5月まで第一大蔵卿を務める[1][2]。1701年から1706年にかけては紋章院総裁代理(deputy earl-marshal)を務めた[1][注釈 3]。1701年に枢密顧問官(PC)に列する[1]。1706年にはスコットランド合同コミッショナーを務める[1][2]。1715年5月から10月にかけて第一大蔵卿に再任された[1][2]。1715年から1722年にかけてはロンドン塔管理長官を務め[1][2]、1717年から1722年にかけてはタワー・ハムレット知事を務めた[1]。1723年から1730年にかけてウィンザー城管理長官及び総督を務めた[1][2]。1730年にはハリアー犬・フォックスハウンド管理長官に就任[1][2]。
1688年にアン・チャペル(初代エセックス伯爵アーサー・チャペルの娘)と結婚し、彼女との間に爵位を継承する長男ヘンリー、軍人となる次男チャールズなど2男3女を儲けた[1]。
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