ランギリ・ダンブッラの石窟寺院
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ランギリ・ダンブッラの石窟寺院(ランギリ・ダンブッラのせっくつじいん)は、1991年にUNESCOの世界遺産に登録された石窟寺院である。スリランカ、コロンボの148キロメートル東方、キャンディの72キロメートル北方のダンブッラに位置する。スリランカにおいて、最も保存状態がよい石窟寺院として知られている。当初、ダンブッラの黄金寺院の名で登録され、2019年に現在の名称に変更された。黄金寺院の周辺には、確認されているだけで80以上の洞窟がある。
黄金寺院において重要な寺院は5つであり、そのそれぞれに聖像や絵画がある。これらの聖像や絵画は、釈迦とその生涯に関連したものである。153の釈迦像、3つのスリランカ王の像、4つのヒンドゥー教の神像が祀られている。壁画の面積は2,100平方メートルに達し、絵画には、釈迦が最初に説教を行ったマーラへの説教も含まれている。
ダンブッラの黄金寺院の歴史は紀元前3世紀にまで遡る。その当時から、ダンブッラの黄金寺院は、最大規模でかつ最も重要な僧院として機能していた。僧院を寺院へとして転換したのは紀元前1世紀の王ワッタガーマニー・アバヤ(シンハラ朝第19代国王、在位紀元前89年から紀元前77年)である。彼は、タミル人の手によって、アヌラーダプラから追放されたが、ダンブッラで保護され、15年後には、再び、アヌラーダプラに帰還した。その感謝の念を持って、僧院は寺院へと発展を遂げた。
その後も、ダンブッラの寺院には多くの増築が施された。その結果として、ダンブッラの黄金寺院は、スリランカを代表する仏教寺院へと発展を遂げることとなった。ポロンナルワの王統で最後の王であるニッサンカ・マッラ、在位1187年-1196年)は、寺院を金箔で飾り、また、1190年には、70対の仏像を寺院に納めている。
石窟寺院の中核は、5つの石窟によって構成されている。高さ150メートルの岩山の中腹に建設された石窟は、アヌラーダプラ時代(紀元前1世紀-993年)、ポロンナルワ時代(1073年-1250年)に大部分が建設された。長期間に及ぶ建築によって、スリランカにおける仏教建築で最も印象的なものとなった。
第1窟は、"Devaraja lena"とも呼ばれる「聖王の石窟」である。第1窟には高さ14メートルの釈迦の石造が安置されている。壁画は何度も修復作業が施され、最新の修復作業は20世紀に行われている。釈迦像の足元には釈迦のお気に入りの弟子であるアナンダ像、釈迦像の頭部のそばには、ヴィシュヌ像が施されている。
第2窟は、別名「マハラジャの石窟」とも呼ばれ、黄金寺院の規模では最大規模の石窟であり、ヒンドゥーの神であるサーマン、ヴィシュヌの心臓のほかに、16体の釈迦の立像と40の釈迦の坐像が安置されている。これらの聖像には、巡礼者がしばしば装飾を施してきたが、最終的には、紀元前1世紀の王ワッタガーマニー・アバヤと12世紀の王であるニッサンカ・マッラが施した装飾が残っている。
第2窟内には泉が湧いており、この泉の水には病気を治す効力があると信じられている。
また、第2窟には、面積2,100平方メートルに及ぶ天井画が施されており、釈迦によるマーラへの説法やスリランカの歴史に関係のある内容が描かれている。
第3窟は、「新僧院」とも呼ばれる石窟寺院であり、キャンディ王国時代に描かれた天井画と壁画が残る。50の仏像と1体の王の像が安置されている。
第4窟、第5窟は上記の3つの石窟寺院と比較した場合、規模も小さくまた、質もそれほど高くない。ヴィシュヌ像が第1窟と第2窟の間に安置されており、多くの崇拝を受けている。
この世界遺産は世界遺産登録基準のうち、以下の条件を満たし、登録された(以下の基準は世界遺産センター公表の登録基準からの翻訳、引用である)。
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