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タラ(Tara)は、アンタルクティカ(フランス語: Antarctica、英語からの転写によるアンタークティカとも)として建造され、ついでアンタークティカ・エクスプローラー(英語: Antarctica Explorer)、シーマスター(英語: Seamaster)を経てタラとして運用されたスクーナー。
アンタルクティカ アンタークティカ・エクスプローラー シーマスター タラ | |
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2008年ブレストに停泊中のタラ | |
基本情報 | |
船種 | スクーナー |
船籍 | フランス |
所有者 | エティエンヌ・ブルゴワ |
運用者 | タラ財団(タラ海洋探査プロジェクト) |
建造所 | SFCNヴィルヌーヴ=ラ=ガレンヌ造船所 |
母港 | ロリアン[1] |
船級 | ビューロー・ベリタス |
信号符字 | FGE2738[2] |
IMO番号 | 8817552[3] |
MMSI番号 | 227621550[3] |
改名 |
アンタルクティカ(1989年 - 1996年) アンタークティカ・エクスプローラー(1997年 - 2000年) シーマスター(2000年 - 2003年) |
経歴 | |
竣工 | 1989年 |
現況 | 運用中 |
要目 (特記無き限り要目はタラとして2016年のもの[4]。) | |
総トン数 | 120t |
長さ | 36m |
幅 | 10m |
喫水 | 2.5m |
機関方式 |
帆走(27mマスト2本、面積400m2) ディーゼルエンジン2基 |
出力 | 350hp x 2 |
航続距離 | 5,000マイル (8,000 km) |
ジャン=ルイ・エティエンヌによりアンタルクティカとして1996年まで極地探検に用いられた後、クストー協会によりアンタークティカ・エクスプローラーとして海洋調査に用いられる予定であったが、2000年にピーター・ブレイクによって買い取られた。シーマスターとして南極、アマゾン川の調査に用いられたが、ブレイクがその途上で殺害されたことによって運用は中断された。2003年、アニエスベーのエティエンヌ・ブルゴワにより購入され、タラとして海洋環境調査に用いられた。
1989年、ジャン=ルイ・エティエンヌによりリュック・ブヴェとオリヴィエ・プティの設計によって、フランス造船(SFCN)ヴィルヌーヴ=ラ=ガレンヌ造船所にてアンタルクティカとして建造された[5][1]。
アンタルクティカは、1991年から1992年にかけてのパタゴニア、サウス・ジョージア島、南極半島と1995年から1996年にかけてのスピッツベルゲン島の探険で用いられた[6][7]。
1997年、クストー協会はピーター・ブレイクをアンタークティク・エクスプローラーの船長に迎えた[8]。アンタークティカ・エクスプローラーと改名されたアンタルクティカは、オークランドで整備を行いアルシオーネの僚船となる予定であった[9][10]。
しかし、この計画は進捗が滞り、ピーター・ブレイクもアメリカスカップに注力し続ける結果となった。2000年には財政が悪化したクストー協会からピーター・ブレイクは離脱し、独自の計画を展開し始めたが、その計画にとってアンタークティカ・エクスプローラーは有用な存在であり、同年にこれを買い取ることとなった[8][11][12]。
ブレイクエクスペディションズ社を設立したピーター・ブレイクは、船名をシーマスターに改称した[12]。国際連合環境計画に参加し、ドキュメンタリーを撮影する計画を立てていた[8]。計画では、極地、アマゾン川、太平洋のサンゴ礁を対象とし2001年から5年間を費やす予定であった[13][14]。しかし、マカパに停泊中の2001年12月5日、海賊によってピーター・ブレイクが射殺され計画は中断した[14]。
この航海は、ナショナルジオグラフィックのドキュメンタリーとして取り上げられ[15]、生前に南極で撮影されたドキュメンタリーはHeart of Iceとして2002年7月28日に放映された[16]。
ブレイクエクスペディションズは新たな支援者を求めたが、アメリカ同時多発テロ事件の影響で2社が手を引くなど不調に終わり、2003年8月ロード島に係留されていたシーマスターは売却されることとなった[17]。
ピーター・ブレイクの遺族はシーマスターの売却先としてふさわしい人物を求め[14]、結果エティエンヌ・ブルゴワが推定175万USドルで購入した[18]。
10月13日、シーマスターからタラと改名[1]。タラはマオリ語で「天国の道」を意味する言葉で、ピーター・ブレイクの祖父が使用していた船名であった[19]。
2004年より2006年にかけては、グリーンランド、南極、パタゴニア、サウス・ジョージア島で6回の探査を行う一方で、聴覚障害者のサウス・ジョージア島探険を支援、セバスチャン・サルガドとピエール・ユイグの作品制作に協力している[1]。
2006年9月から2008年2月は、ヨーロッパの北極調査計画DAMOCLES(Developing Arctic Modeling and Observing Capabilities for Long-term Environmental Studies)に参加し、北極圏で運用された[1][5]。
2009年9月から2013年にかけては、海洋プロジェクトとして北極及び南極を含む各地の海洋を巡った[20][1]。
2014年は5月から11月まで地中海の調査に従事[21][1]、2016年からは2018年までの予定で太平洋の調査を行っている[22][1]。
また、2015年で建造から25年以上が経過しており、代船の検討が必要であることをエティエンヌ・ブルゴワが主張している[1]。
船殻は厚さ15mmから25mmのアルミニウム製[10]。海氷の圧力に耐えるため圧力の掛かる部分は厚く、氷から浮き上がるために船形は卵形になっている[11][23]。
発電装置としては、発電機に加え、太陽光パネル[5]や風力発電機[4]を備える。
真水の製造能力は1時間300リットル、6000リットルのタンクに加え、燃料タンク50,000リットルと汚水タンク7000リットルも有する[5]。
通信設備は時期により異なるが、2016年にはユーテルサット、フリートブロードバンド、短波、Standard Cに対応している[4]。
飽和潜水のための再圧タンクは、4人用の30気圧のものと40気圧のものを備えている[4]
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