タウマゼイン

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タウマゼイン:θαυμάζεινthaumazein)とは「驚き」、「驚異」、「驚愕」といった意味を持つギリシャ語古代ギリシアで「知的探求の始まりにある驚異」を表す言葉として使用され、その後の哲学者、近・現代の哲学者も使うことになった用語である。

身近な日常の中にある些細な出来事の中に知的理解が及ばない物事を見いだした時、人は自分の周囲すべてが謎・困惑(アポリア)に包まれている感覚を覚える。このとき体験される驚き、驚異、驚愕のことをタウマゼインと言う[1]

語彙

ギリシャ語のθαυμάζεινは動詞θαυμάζω(タウマゾー)の不定詞形であり、θαυμάζω(タウマゾー)は名詞θαῦμα(タウマ、ザウマ)「不思議・驚異」と語を共有している。thaumaは一般英語にも利用されており、thaumaturgy「幻影的な妙技」「人知を超えた力を呼び出す技」「魔術」、thaumaturge「魔術師」などの用例がある。動詞θαυμάζεινの発音は「タウマ(ー)ゼン」ないし「タウマ(ー)デン」が本来であるが、金子武蔵が日本に紹介する過程で(哲学雑誌48号「生の範疇」1933年)「タウマゼイン」と記載し(おそらくドイツ語あるいはラテン語からの移入による読みであろう)、以降定着したものと考えられる[2]。ドイツ語Sein(ザイン)には「実在・存在」の意味があるので「ゼイン」にも何らかの意味が含まれていると考えがちだが翻訳されたギリシャ語の語尾活用に過ぎず、何らかの意味が含まれているわけではない。

概要

古代ギリシャの哲学者プラトン前427年-前347年)、およびその弟子であるアリストテレス前384年-前322年)は、哲学の起源、すなわち知を愛し求めることの始源は「驚き」にある、と言った[3]

プラトンは著書『テアイテトス』の中で、自身の師匠ソクラテスを登場人物の一人として出演させ、次のように語らせた。

なぜなら、実にその驚異(タウマゼイン)の情(こころ)こそ知恵を愛し求める者の情なのだからね。つまり、求知(哲学)の始まりはこれよりほかにはないのだ。[4]プラトン紀元前4世紀)『テアイテトス』155d 田中美知太郎訳 (強調引用者)

プラトンの弟子アリストテレスは著書『形而上学』の中で次のように記した。

けだし、驚異することによって人間は、今日でもそうであるがあの最初の場合にもあのように、知恵を愛求し(哲学し)始めたのである。ただしその始めには、ごく身近の不思議な事柄に驚異の念を抱き、それからしだいに少しずつ進んで遥かに大きな事象についても疑念を抱くようになったのである。たとえば、月の受ける諸相だの太陽や星の諸態だのについて、あるいはまた全宇宙の生成について。[5]アリストテレス紀元前4世紀)『形而上学』982b 出隆訳 (強調引用者)

「哲学の始まり」または「哲学の根っこにあるもの」が「驚き」であるという見方は、古代ギリシャに限らず、現代に至るまで様々な哲学者たちの中に見出される。たとえばキルケゴール1813年-1855年)、ヘーゲル1770年-1831年)、マルティン・ハイデッガー1889年-1976年)などである[3][6]


タウマゼインは精神的高揚を伴う。しかし同時にそれは日常的世界観の崩壊を予見する不気味さも併せ持っている。それゆえこうした驚異と向き合い続けることは、時に精神的な苦痛を伴う。[要出典]

この広い宇宙の中でなぜ私はここにいるのだろうかそもそもなぜこういう世界があるんだろうか」。こうしたことを問うた時、そしてそこに自分の知的理解の及ばない問題があると気づいた時、人はある種の「驚異」を覚える。[要出典]

脚註

参考文献

関連項目

外部リンク

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