ズールー (駆逐艦・2代)
イギリスの駆逐艦 ウィキペディアから
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ズールー (HMS Zulu, F18) はイギリス海軍の駆逐艦。トライバル級。
艦歴 | |
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発注 | |
起工 | 1936年8月10日 |
進水 | 1937年9月23日 |
就役 | 1938年9月7日 |
退役 | |
その後 | 1942年9月14日に戦没 |
除籍 | |
性能諸元 | |
排水量 | 1,870トン |
全長 | 344 ft (105 m) |
全幅 | 36 ft 6 in (11.13 m) |
吃水 | |
機関 | パーソンズ式減速タービン、2軸推進、44,000 shp (33,000 kW) |
最大速 | 26.5 ノット(30.5 mph; 49.1 km/h) |
乗員 | 190名 |
兵装 | 8 x 4.7 guns in four turrets, 4 x 2pdr, 4 x 21 inch torpedo tubes, 2 x depth charge throwers |
1936年8月10日起工。1937年9月23日進水。1938年9月7日就役。
1938年11月18日にマルタに着き、第1駆逐艦戦隊に所属する。第二次世界大戦が始まると船団護衛に従事した。
1942年8月3日夜、ヤッファの西でイギリス空軍のウェリントンがドイツ潜水艦「U372」を発見[1]。「ズールー」と駆逐艦「シーク」がその場へ向かって攻撃を行い、その後駆逐艦「テトコット」、「クルーム」も攻撃に加わった[2]。「U372」は4日13時30分ごろに浮上し自沈した[2]。
9月13日、「ズールー」は「シーク」と共にトブルクに対するコマンド部隊の襲撃作戦(アグリーメント作戦)の支援に就き、9月14日未明、トブルクにコマンド部隊を上陸させ、更に沿岸へ接近して襲撃作戦を援護した。しかし、作戦は港湾警備部隊の予想外の抵抗にあって予定通りには進まず、「シーク」は沿岸監視哨のサーチライト照射に捕捉され、沿岸砲台(8.8cm高射砲および152mm沿岸砲を配置)からの砲撃を受けて被弾、大破し航行不能となった。「ズールー」は煙幕を張って「シーク」をサーチライト照射と沿岸放題からの砲撃より保護し、曳航索による曳航を行って戦闘海域からの離脱を試みたが、「シーク」は沈没、「ズールー」も艦尾に被弾した。「ズールー」は「シーク」の乗組員を救助して離脱したが、9月14日の日昇後、イタリア軍機の爆撃を受け航行不能となり、同日中に沈没した。「ズールー」は救助した「シーク」の乗組員共々多数の死傷者を出したものの、乗員の大半は沈没前に救助に駆けつけた「クルーム」により救助された。
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