スルタン・マフムード (西チャガタイ)
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スルタン・マフムード(? - 1402年)は、西チャガタイ・ハン国の君主(在位:1388年 - 1402年)。
ソユルガトミシュの子。1388年に父が死去したため、後を継いだ。父ソユルガトミシュはティムールの武将として活躍した後ハンに擁立されており、マフムードも父の跡を襲ってハンとなり武将として活躍した[1]。マフムードはティムールに従ってインド遠征や7年戦役に従軍し、アンカラの戦いにも参加してオスマン朝のバヤズィト1世を捕らえるという功績を立てている[2][3]。だが、その直後に急死した。
マフムードの死をティムールは深く悼んだが、西チャガタイ・ハン国の君主はティムールによって擁立されることもなくなった。その理由は明確ではない[3]。
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