スターリングラード戦線
ウィキペディアから
ウィキペディアから
スターリングラード戦線(ロシア語: Сталинградский фронт、スターリングラード方面軍、もしくはスターリングラード正面軍とも)は、第二次世界大戦中の独ソ戦中期に2度にわたりソ連のスターリングラード地域に設置された赤軍の方面軍級部隊である。
最初のスターリングラード戦線は、1942年7月12日、廃止された南西戦線(戦線の指揮機関、第21軍、第8軍)、並びに最高司令部スタフカ予備(第62軍、第63軍、第64軍)から編成された。事後、第28軍、第38軍、第57軍、第51軍、第66軍、第24軍、第1戦車軍、第4戦車軍、第16航空軍が配属され、ヴォルガ小艦隊とスターリングラード軍団防空地区が作戦統制下に入った。
南西方面でのドイツ軍の戦線突破と関連して、スターリングラード戦線は、敵のヴォルガへの進出の阻止、パヴロフスからクレツカヤまでのドン川沿い、クレツカヤ-スロヴィキノ-スヴォロフスキー-ヴェルフニェクルモヤルスカヤのラインの防衛を担当した。
1942年7月17日、ドイツ第6軍の前衛部隊が、ソ連軍第62軍および第64軍の先遣部隊と交戦、スターリングラード攻防戦が始まった。6日後、ドイツ第6軍主力が展開し、2週間後、ドイツ第4装甲軍がスターリングラード方面に投入された。
防衛地帯の拡大(約800km)と関連して、8月7日、戦線は、スターリングラード戦線(第63軍、第21軍、第62軍、第4戦車軍、第16航空軍)と南東戦線に分割され、8月10日、スターリングラード戦線は、南東戦線司令官の配下に入った。9月28日付スタフカの命令により、両戦線の統一司令部が廃止され、9月30日、スターリングラード戦線はドン戦線に、南東戦線はスターリングラード戦線に改称された。
司令官:
軍事会議議員:
参謀長:
2度目のスターリングラード戦線は、1942年9月30日、第28軍、第51軍、第57軍、第62軍、第64軍、第8航空軍から編成された。同年12月、第5打撃軍、第2親衛軍が配属された。
1942年7月~11月、戦線部隊は、南東戦線及びドン戦線と協同で、防勢行動を取り、攻勢転移のための前提条件を創出した。11月20日、スターリングラード戦線は、攻勢に転移し、11月23日、南西戦線部隊と協同で、ヴォルガとドンの間に敵集団を包囲した。12月12日~30日、コテリニコフ作戦を行い、敵の包囲解除の試みを撃退し、敵集団を撃破した。
1942年12月31日、12月30日付のスタフカの命令に基づき、スターリングラード戦線は廃止され、これに基づき南部戦線が設置された。
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Every time you click a link to Wikipedia, Wiktionary or Wikiquote in your browser's search results, it will show the modern Wikiwand interface.
Wikiwand extension is a five stars, simple, with minimum permission required to keep your browsing private, safe and transparent.