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ジョー・ドゥラムリア(Joe DeLamielleure [dəˌlɑːməˈlɔːr] də-LAH-mə-LOR 1951年3月16日- )はミシガン州デトロイト出身のアメリカンフットボール選手。ポジションはガード

概要 Joe DeLamielleure, 基本情報 ...
ジョー・ドゥラムリア
Joe DeLamielleure
基本情報
ポジション オフェンシブガード
生年月日 (1951-03-16) 1951年3月16日(73歳)
出身地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
ミシガン州デトロイト
身長: 6' 3" =約190.5cm
体重: 254 lb =約115.2kg
経歴
大学 ミシガン州立大学
NFLドラフト 1973年 / 1巡目全体26位
初出場年 1973年
初出場チーム バッファロー・ビルズ
所属歴
1973-1979 バッファロー・ビルズ
1980-1984 クリーブランド・ブラウンズ
1985 バッファロー・ビルズ
受賞歴・記録
  • プロボウル選出6回:(1975年-1980年)
  • オールプロファーストチーム選出6回(1975年-1980年)
  • オールプロセカンドチーム選出2回(1974年、1983年)
  • NFL1970年代オールディケイドチーム
  • バッファロー・ビルズ・ウォール・オブ・フェイム
  • クリーブランド・ブラウンズ・ウォール・オブ・フェイム
  • NFLPA AFC最優秀ラインマン
  • フォレスト・グレッグ賞(1977年)
NFL 通算成績
出場試合数 185試合
先発出場試合数 178試合
Player stats at NFL.com
Player stats at PFR
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経歴

ミシガン州立大学時代、オールアメリカンに選ばれた。

1973年のNFLドラフト1巡でバッファロー・ビルズに指名されて入団、1年目から活躍しオールルーキーに選ばれた。不整脈を起こしたが大事には至らず、1973年、ビルズのランオフェンスは獲得ヤード、平均獲得ヤード、タッチダウンでNFLトップとなった。この年のビルズはランで3,088ヤードを獲得しており、これは14試合でのNFL記録であり、現在も更新されていない。16試合制となった後も、1978年ニューイングランド・ペイトリオッツしかこの記録を超えていない。

この年、彼はエレクトリック・カンパニーと呼ばれたビルズのオフェンシブラインの一員としてO・J・シンプソンによるNFL初のシーズン2,000ヤードラッシュに貢献した[1][2]。シンプソンは4つのカテゴリでNFLトップの数字を残した。ドゥラムリアはキックオフリターンチームとしても起用され、ウォレス・フランシスの2度のリターンTDを助けた。

1974年、ビルズは9勝5敗でプレーオフに進出、彼はオールプロセカンドチームに選ばれた。

1975年、ビルズのオフェンスはトータル獲得ヤード、ラン獲得ヤード、ラン平均獲得ヤード、得点、タッチダウン、タッチダウンパスなど11のカテゴリでNFLトップとなり8勝6敗の成績を残した。ドゥラムリアらオフェンシブラインもAFC最少サックしか相手に許さなかった。この年オールプロファーストチームに選ばれた。シンプソンはこの年も4つのカテゴリでNFLトップの数字をあげた。この年NFL選手会より最優秀オフェンシブラインマンに選ばれた。

1976年、ドゥラムリアは2年連続でオールプロファーストチームに選ばれた。シンプソンがリーディングラッシャーとなっている。

1977年、シンプソンがシーズン半ばに負傷したことから、ビルズはパス獲得ヤード、パス試投でNFLトップとなった。この年フォレスト・グレッグ賞を受賞している。

1978年、シンプソンがトレードで放出されたものの、テリー・ミラーがランでNFL9位の成績をおさめた。

1980年、クリーブランド・ブラウンズにトレードされて、他の選手とともにNFL最少のサック%しか許さず、この年4000ヤード以上を投げてシーズンMVPに選ばれたブライアン・サイプを守り、マイク・プルイットが1,000ヤードラッシャーとなるのを助けた。

シーズン2000ヤードラッシャーとシーズン4000ヤードパサーを支えた選手であり、彼の後にもジャッキー・スレイターダグ・スミスアーブ・パンキーケビン・グローバートム・ネイレンしかこの記録は達成していない。

ブラウンズでは5シーズン全試合に出場、1985年にビルズに復帰、その年で現役生活を終えた。

1975年から1980年まで6年連続でプロボウルに選ばれた[2]。またNFL1970年代オールディケイドチームに選ばれている[1]

2003年にプロフットボール殿堂入りを果たしている[2]

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人物

  • 1975年、NFL選手会の腕相撲大会でAFCチャンピオンになった(NFCのエド・ホワイトに敗れた。)。
  • 1978年、NFL選手会のラケットボールチャンピオンになった。1979年にもAFCチャンピオンになった(ラファエル・セプティエンに敗れた。)。
  • 1982年、NFL選手の最強の男決定戦に出場した。彼の他にはライル・アルゼイドジョン・マツザックマイク・ウェブスタースティーブ・ファーネスカート・マーシュボブ・ヤングが出場している。
  • 58歳となった2009年4月から5月にかけて、チャリティのため、自転車で18日間にわたりミシガン州立大学からメキシコマタモロス2,000マイル(約3,200km)を完走した[3]
  • 2012年7月9日に行われるAAAのオールスターゲームのホームランダービーに出場した[4]

脚注

外部リンク

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