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ブラジルのサッカー選手 ウィキペディアから
ジュリオ・セザール(Júlio César)ことジュリオ・セザール・ジャコビ(ポルトガル語: Júlio César Jacobi、1986年9月2日 - )は、ブラジルのサッカー選手。ポジションはGK。
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名前 | ||||||
本名 | ジュリオ・セザール・ジャコビ | |||||
ラテン文字 | Júlio César Jacobi | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | ブラジル | |||||
生年月日 | 1986年9月2日(38歳) | |||||
出身地 | サンタカタリーナ州グアラミリン | |||||
身長 | 191cm | |||||
体重 | 85kg | |||||
選手情報 | ||||||
在籍チーム | CRB | |||||
ポジション | GK | |||||
利き足 | 右足 | |||||
ユース | ||||||
2003-2004 | J・マルセーリ | |||||
2005 | パラナ | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
2005-2007 | ボタフォゴ | 20 | (0) | |||
2008-2009 | ベレネンセス | 41 | (0) | |||
2009-2013 | ベンフィカ | 4 | (0) | |||
2011-2012 | → グラナダ(loan) | 16 | (0) | |||
2014 | ヘタフェ | 5 | (0) | |||
2014-2018 | フルミネンセ | 97 | (0) | |||
2019-2021 | グレミオ | 14 | (0) | |||
2023 | アスレティック・クラブ | 6 | (0) | |||
2023- | CRB | |||||
1. 国内リーグ戦に限る。2020年9月14日現在。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
J・マルセーリ・フチボウ、パラナ・クルーベの下部組織に在籍した。2005年8月にボタフォゴFRと5年契約を締結しプロとなった。2006年11月26日にカンピオナート・ブラジレイロ・セリエA初出場。
2008年1月にポルトガルのCFベレネンセスに移籍。2月23日の試合でゴールキーパーのパウロ・コスチーニャが退場した事を受けてフォワードのヴェウドンに代わって投入されプリメイラ・リーガ初出場となったが、1-3で敗れた[1]。2008-09シーズンは正ゴールキーパーとして出場を重ねていたものの、クラブは降格した。
2009-10シーズンに強豪SLベンフィカに移籍した[2]。ベレネンセス時代にも指導を受けていたジョルジェ・ジェズスがベンフィカの監督に就任したため、再会となった。そして彼はキムの控えの地位を確立、ジョゼ・モレイラを第3ゴールキーパーに押しやった。2010年4月8日のUEFAヨーロッパリーグ 2009-10の準決勝でリヴァプールFCのディルク・カイトと交錯し脳震盪となり病院に搬送された[3]。幸い後遺症はなかった。
2011年8月17日に1シーズンの契約でリーガ・エスパニョーラのグラナダCFにチームメイトのカルロス・マルティンス、ジョルジェ・リベイロとともに期限付き移籍[4][5]。12月13日にコパ・デル・レイで移籍後初出場となるも、1-4で敗北した[6]。このシーズンはロベルト・フェルナンデスの控えであった。
2013年9月1日にベンフィカと契約解除[7]。翌年3月10日にミゲル・アンヘル・モジャをが大怪我をしたヘタフェCFにシーズン末までの5ヶ月契約で急遽加入となった[8]。
2014年9月9日にフルミネンセFCに加入、6年ぶりのブラジル復帰となった[9]。
2019年1月にグレミオFBPAに移籍。
兄のダルシもサッカー選手[10]。
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