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ジュリアン・ラッセル・ストーリー(Julian Russell Story、1857年9月8日 - 1919年2月24日)は、アメリカ人彫刻家を父親に持つ画家である[1]。1902年にアメリカ合衆国に住むようになるまでヨーロッパで活動した。上流階級の人々の肖像画や歴史画を描いた。
イギリス、サリーのウォートン=オン=テムズ (Walton-on-Thames) で生まれた。父親のウィリアム・ウェットモア・ストーリー(William Wetmore Story: 1819–1895) はアメリカ、マサチューセッツ州生まれの彫刻家でローマなどで制作活動をしていた。兄のトーマス・ウォルド・ストーリー(Thomas Waldo Story: 1854–1915)も彫刻家になった。
1879年にオックスフォード大学のブレーズノーズ・カレッジを卒業しただ後.[2]、イタリアのベネツィアでアメリカ人画家のフランク・ドゥフェネク(1848-1919)に美術を学び、1881年からベネツィアで肖像画家として働き始めた。パリでも学び、アンリ・ジェルベクス(1852-1929)やフェルディナン・アンベール(1842-1934)といった画家の指導を受け、私立の美術学校、アカデミー・ジュリアンでジュール・ジョゼフ・ルフェーブル(1836-1911)に学んだ。
1891年にアメリカ人の有名なオペラ歌手エンマ・イームズ(Emma Eames: 1865–1952)と結婚し、イタリアとアメリカを行き来する生活を送り、1902年からフィラデルフィアに住むようになったが、1907年に離婚し後にエンマ・イームズはバリトン歌手のエミリオ・デ・ゴゴーザ(Emilio de Gogorza: 1872-1949)と再婚した[3]。1906年にストーリーはナショナル・アカデミー・オブ・デザインの会員に選ばれた。
1909年、ストーリーは再婚するが[3]、1919年にフィラデルフィアで61歳で亡くなった[3]。再婚した妻との間の娘の一人はルーズベルト家の一員の海軍次官ヘンリー・ルーズベルトの息子と結婚した[4]。
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