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ジャパンゲームコンベンションとは、毎年夏に行われる、日本のアナログゲームの宿泊型イベントのこと。JGCの略称で知られる。企業主導のイベントであり、日本でアナログゲームを出版している多くのメーカーが参加している。
アメリカのアナログゲームの宿泊型イベントであるオリジン・ゲーム・フェアやGen Con(ジェンコン)の日本版として1996年よりゲーム出版懇話会が主催に開始された。
JGCは毎年の8月の最終の金曜から日曜までの二泊三日をホテルなどの宿泊施設の一部を借り切って行われる(2005-2011は新横浜プリンスホテル)。ホテルの部屋ごとに参加企業が独自の企画を立ち上げ、参加者は開催期間中に、好きな部屋にいってその企画を楽しむことができる。なお、宿泊参加者は宿泊用の部屋を与えられてイベントに参加しないときは部屋で休むことができる。
JGCで開催される企画は多岐に渡るが、基本的には大きく以下の6つに分けられる。
JGCは大型の企業イベントではあるが、参加者が自由に企画を立てられるフリープレイも魅力の一つである。
JGCでは毎年、フリープレイ用の部屋としてテーブルが並べられた大広間を用意している。JGC参加者はテーブルを借りたい時間を「予約」することで、そのテーブルを自由に使えるのである。運営側は基本的にテーブル使用時間の管理以外は何も行わないので、テーブルを借りた参加者はそこで何をしてもいい。 フリープレイルームの前には掲示板がおかれ、そこで一緒に遊びたい仲間を募集することもできる。フリープレイルームは、抽選に使用する時間を除き開放されている。
フリープレイルームでなく自分の宿泊部屋でゲームをプレイする参加者もいるが、これは運営側は関与しない自己責任の範疇の行為であり、掲示板でそのようなことを告知することは禁止されている。
フリープレイは企業参加しているゲストも一般参加者も等しく同じ形で使用することができる、発表もされていない開発中の新作ゲームのテストプレイが「非公式に」デザイナーによりフリープレイで行われることもある。
鈴木銀一郎がフリープレイに不定期に卓を立てて、対戦ゲームでゲーマー100人斬りをすることはJGCの名物ともなっている。
JGCの存在がはじめに告知されたのは1994年のことである。メーカーの枠を超えたアナログゲームの大規模な祭典ということで、当時存在していたほぼ全てのテーブルトークRPGの雑誌に「1995年夏に『JGC95』が開催予定」と告知された。主催はいくつかのメーカーの合同により結成された「ゲーム出版懇話会」であった。
しかし、このJGC95は開催されずに計画が頓挫してしまう。これの原因について諸説あるが、懇話会に当初参加していたホビージャパンがなんらかの原因で急遽脱退したためとも言われている[1](以後、ホビージャパンは2006年のJGCまでは、参加企業としてもJGCには関わらなかった)。 JGC参加者の予約受付はすでに開始されており、なんらかのイベントを開く必要があったため、ゲーム出版懇話会はJGCの代替イベントとして『夏のTRPG祭り95』の開催を急遽決定する。このイベントは宿泊型でなく一日のみのものであったが、メーカーの枠を超えたアナログゲーム専門イベントという意味では日本初のものであった。
懇話会は1996年に第一回目のJGC『JGC96』を正式に開催。第一回目のJGCは完全な宿泊型イベントでなく、JGC自体は8月30日に一日だけ晴海で行われるテーブルトークRPGの企業コンベンションであり、それとは別に8月28日~29日の二日間に『JGC前夜祭』という別のイベントを東京のホテル浦島で行うというものであった。これは運営サイドがまだ宿泊型イベントのノウハウを持っていなかったため、「一日限りの企業コンベンション」をメインに据えて、宿泊イベントの方を「テスト運用」的に計画したためだと思われる。前夜祭はユーザーも業界人も「一参加者」として区別なく手探りで進められた観があるが、このときの試行錯誤が以降のJGCにおける各企業の企画モデルとなっている。
JGC96での前夜祭の好評を受け、1997年にもJGCは継続して開催された。97年からは3日間の全日程がJGCとなり、ここから現在のJGCの形態が始まるようになる。会場は2003年まではホテル浦島が使用された。なお、1997年のJGCはホテル浦島とは別に近隣のコンベンション会場も借りてそちらを第二会場としていたが、二会場規模の大規模なJGCは2010年現在この一度きりである。
2001年からは毎年3月に関西地方でもJGCが行われるようになる。これは「JGC-WEST」と呼ばれ、大阪南港のコスモスクエア国際交流センターにて一泊二日で開催されるイベントである。内容自体は夏のJGCとまったく変わらず、違いは規模と開催日数だけになっている。JGC-WESTは2004年まで全5回開催されたが、2005年はゲーム出版懇話会でなくアークライトの主催で「RCON-WEST」と名前を変えて開催。そして2006年以降はJGC-WESTもRCON-WESTも行われていない。
2003年の秋にホテル浦島が取り壊されたため、2004年のJGCからは会場が変更された。横浜プリンスホテルが新会場となったのだが、交通の不便さや近隣にコンビニさえないことなどから参加者には不評であった。また、会場変更にともない規模が縮小されてしまい、2004年のJGCでは、キャパシティオーバーでどこの企画にも参加できず、フリープレイルームのテーブルにさえ空きがなくてホテルの廊下で「難民」と化した参加者が続出。大きな問題となった。 この時の混乱によって、2005年以降からのJGCではイベントの予約や整理券の配布などに様々な工夫するようになる(ホテル浦島時代は人数に余裕があった分、このあたりのモラルが参加者、運営者ともに薄かったので意識改革としては怪我の功名でもあった)。
2006年の6月の横浜プリンスホテルの閉鎖にともない、2006年のJGCはふたたび会場変更され、新横浜プリンスホテルが選ばれる。2006年のJGCは宿泊参加者の募集が例年よりも早く締め切られたり、当日参加者にはイベント参加制限がつけられることが事前に告知されるなど、例年よりも徹底した参加者の人員管理が行われ、2004年のような会場変更に伴う運営の混乱はさしてなかった。
2016年のJGCはアークライトの単独主催となり、開催日時も2日間に短縮された。その開会式で、次回よりイベント名を「TRPGフェスティバル」に変更し、会場も静岡県熱海市にあるホテル大野屋に変更されることが告知された。従って、2016年の大会がJGCの名称を用いた最後の大会となった。
JGCの運営は「ゲーム出版懇話会」(以後、懇話会と略す)によって行われている。 懇話会はアナログゲームに関係する複数の出版社、ゲームメーカーによって1996年に結成されたアナログゲームの普及と振興を目的とした団体。略称はGPA(Game Publishers Association)。
JGCはこの懇話会の加盟各社より作られた「JGC実行委員会」によって主催・運営されているとされるが、実際にはJGCの運営の部分以外でのゲーム出版懇話会の活動は結成以来ほとんどないため、現状ではJGC実行委員会=ゲーム出版懇話会となっている。
2014年8月現在は懇話会は以下の6社によって運営・活動が行なわれている。
実際のJGCの主要な運営組織は株式会社アークライトなのだが、アークライト自体は懇話会には加盟していない。このことに関する詳細や経緯は不明であるが、アークライトが「ゲーム製作」は行っていても「出版社」としての活動がメインにはなっていないからだとも思われる。
なお、JGCに企業としてなんらかの企画をもって参加すること自体は、懇話会に加盟していなくても可能である。 懇話会はあくまでJGC全体の運営に関係することができる企業である。
また、JGC公式トラベルエージェントとしてJTBが宿泊参加者の申し込みを委託している。
JGCの運営で特に重要視されているのは、「難民」への対策である。JGCでは第一回の開催以来、毎年「目的としていた企画の部屋に人数オーバーで参加できず、やりたいゲームが何もないままホテルの廊下で呆然とする」という参加者が発生している。難民化はその参加者のモチベーションを下げるだけでなく、空いている企画を探してホテル内を徘徊すること自体がほかの参加者やホテルの一般宿泊客に迷惑をかける要因となるため大きな問題となっている。
難民化する参加者は年々増大しており、近年では「フリープレイを含む全ての企画が人数オーバーで、どこのイベントにも物理的に参加できない」という状況が発生するまでになった。特に2004年のJGCでは参加人数が会場のキャパシティ以上のものとなってしまい、激しい難民化が起こりネットのコミュニティなどでは運営に関して強く問題視された。こうした事態への対策として2006年のJGCからは当日参加者はフリープレイやライブRPGに参加できないとされ、一応の解決は見たものの不満の声は大きかった。
難民が増えていっている背景には様々な要因があるが、以下の三つが大きなものとしてあげられる。
難民問題は大なり小なりは今後も対処法を模索する必要のある大きな課題である。現状ではJGCに参加するだけでなく「楽しむ」ためには、運営に頼るだけでなく、参加者自体が「自分が難民化しない」ように上手く立ち回る知恵が求められている。
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