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ジェームズ・ヤングハズバンド(James Younghusband、1986年9月4日 - )は、イングランドとフィリピンの元サッカー選手。元フィリピン代表。現役時代のポジションはMFもしくはFW。かつてチェルシーFCに在籍した選手である。
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AFCアジアカップ2019でのヤングハズバンド | ||||||
名前 | ||||||
本名 | ジェームズ・ジョセフ・ヤングハズバンド | |||||
ラテン文字 | James Younghusband | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 |
フィリピン イングランド | |||||
生年月日 | 1986年9月4日(38歳) | |||||
出身地 | イングランドサリー州アシュフォード | |||||
身長 | 185cm | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | MF(RW)/FW | |||||
ユース | ||||||
1997-2005 | チェルシーFC | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
2005-2008 | チェルシーFC | 0 | (0) | |||
2006-2007 | → AFCウィンブルドン(loan) | 0 | (0) | |||
2007 | → ステインズ・タウンFC(loan) | 6 | (1) | |||
2007 | → ウォキングFC(loan) | 0 | (0) | |||
2008 | → ファーンボロFC(loan) | 0 | (0) | |||
2011 | スマート・サン・ベダFC | 0 | (0) | |||
2011-2017 | ロヨラ・メラルコ・スパークスFC | 43 | (25) | |||
2017-2018 | ダバオ・アギラスFC | 53 | (20) | |||
2019-2020 | セレス・ネグロスFC | 7 | (2) | |||
代表歴 | ||||||
2005 | フィリピン U-23 | 3 | (1) | |||
2006-2019 | フィリピン | 101 | (12) | |||
1. 国内リーグ戦に限る。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
1997年にチェルシーFCのユースに加入し、10歳にして奨学金を受け取った事でサッカー選手生命が始まった。リザーブチームやユースチームで出場を重ねたのち、イングランドのクラブを転々とした。2008年にチェルシーFCとの契約が終わるとフィリピンへと向かった。
2011年4月15日、ジェームズは弟のフィリップと共にフィリピンサッカー連盟男子クラブ杯に参加するためにスマート・サン・ベダFCに加入する事が発表された[1]。しかし、グローバルFCとの初戦は3-0の敗北を喫した。二戦目はフリーキックからの得点をし、2-0に持ち込んだものの、3点目が奪えなかったため、二戦合計で3-2となり、敗北した[2]。
その後、ヤングハズバンド兄弟はロヨラ・アギラFCに3年契約で加入した[3]。
2011-12シーズンのUFLカップのラウンド16ではスンケン・ガーデン・ユナイテッドFCから初得点を奪い、この試合は14-0の快勝に終わった。その後も、準決勝でカヤFCから得点を奪った[4]。しかし、決勝戦でフィリピン・エアフォースFCに2-0の敗北を喫しタイトルとはならなかった。
リーグでの初得点はフィリピン・アーミーFCからであり、この試合は2-1の勝利に終わった。また、フィリピン・ネイビーFCからハットトリックも達成し、この試合は14-0の快勝に終わった。初退場となったのは、フィリピン・エア・フォースFC戦であり、相手選手のハーバート・バヨナと口論になった後に彼が突き、退場処分となった。この時3-1で優勢であったロヨラ・メラルコ・スパークスFCであったが、彼の退場後ものの1分で2得点を奪われ引分に持ち込まれた[5][6][7]。
フィリピン・フットボールリーグ創設一年目の2017年8月3日、ヤングハズバンド兄弟はダバオ・アギラスFCに移籍した[8]。2018年シーズンまでプレーを続けたが、12月にクラブが活動停止したため無所属になる。
8ヶ月のブランクを経て2019年8月18日、セレス・ネグロスFCに加入[9]。
2020年6月25日、現役引退を表明[10]。当初は2020年シーズン終了までセレスでプレーするつもりであったがCOVID-19パンデミックによってシーズン開始が延期されたことを受けて、予定を早めて引退を決めたとのことである[11]。
2005年初からフィリピンサッカー連盟は彼の能力に注目しており、その情報は報道によると指導者側から齎されたと云う。その後、ヤングハズバンド兄弟は2005年の東南アジア競技大会のメンバーに呼ばれ、歓声のうちに合流した。
AFCチャレンジカップ2012の予選ではモンゴル国代表から前半4分に得点を奪い、2戦合計で4-3となり、チームのプレーオフ突破に大きな役割を果たした。
2015年6月11日に行われたバーレーン代表戦では弟がメンバーに選ばれた他方でメンバーから漏れた。これについて監督のトーマス・ドゥーリーは「パフォーマンスで考えた。誰であるか、何歳であるか、どれほどの知名度があるかではない。試合に出場する機会を得るためにはトレーニングでハードワークする事が必要である」と述べた[12]。
# | 日附 | 場所 | 対戦相手 | 得点 | 結果 | 大会 |
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1. | 2007年1月7日 | シンガポール・チョア・チュー・カン・スタジアム | シンガポール | 親善試合 | ||
2. | 2010年10月12日 | 高雄市高雄国家体育場 | マカオ | 龍騰杯2010 | ||
3. | 2010年10月24日 | ビエンチャン・ニュー・ラオス・ナショナルスタジアム | ラオス | 2010 AFFスズキカップ予選 | ||
4. | 2011年3月15日 | ウランバートル・MFFフットボールセンター | モンゴル | AFCチャレンジカップ2012予選 | ||
5. | 2011年3月21日 | ヤンゴン・トゥウンナ・スタジアム | ミャンマー | |||
6. | 2011年10月11日 | マニラ・リサール・メモリアル・スタジアム | ネパール | 親善試合 | ||
7. | 2012年6月5日 | インドネシア | ||||
8. | 2013年6月4日 | 香港旺角大球場 | 香港 | |||
9. | 2013年10月11日 | バコロド・パナード・スタジアム | チャイニーズタイペイ | フィリピンピースカップ2013 | ||
10. | 2014年9月3日 | マニラ・リサール・メモリアル・スタジアム | フィリピンピースカップ2014 |
彼はイギリス人の父親とフィリピン人の母親の間に生まれた。弟のフィリップ・ヤングハズバンドもフィリピン代表のサッカー選手でチームメイトである。
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