トップQs
タイムライン
チャット
視点
ジェームズ・ヤングハズバンド
ウィキペディアから
Remove ads
ジェームズ・ヤングハズバンド(James Younghusband、1986年9月4日 - )は、イングランドとフィリピンの元サッカー選手。元フィリピン代表。現役時代のポジションはMFもしくはFW。かつてチェルシーFCに在籍した選手である。
Remove ads
クラブ歴
イングランド時代
1997年にチェルシーFCのユースに加入し、10歳にして奨学金を受け取った事でサッカー選手生命が始まった。リザーブチームやユースチームで出場を重ねたのち、イングランドのクラブを転々とした。2008年にチェルシーFCとの契約が終わるとフィリピンへと向かった。
サン・ベダFC
2011年4月15日、ジェームズは弟のフィリップと共にフィリピンサッカー連盟男子クラブ杯に参加するためにスマート・サン・ベダFCに加入する事が発表された[1]。しかし、グローバルFCとの初戦は3-0の敗北を喫した。二戦目はフリーキックからの得点をし、2-0に持ち込んだものの、3点目が奪えなかったため、二戦合計で3-2となり、敗北した[2]。
ロヨラ・メラルコ・スパークスFC
その後、ヤングハズバンド兄弟はロヨラ・アギラFCに3年契約で加入した[3]。
2011-12シーズンのUFLカップのラウンド16ではスンケン・ガーデン・ユナイテッドFCから初得点を奪い、この試合は14-0の快勝に終わった。その後も、準決勝でカヤFCから得点を奪った[4]。しかし、決勝戦でフィリピン・エアフォースFCに2-0の敗北を喫しタイトルとはならなかった。
リーグでの初得点はフィリピン・アーミーFCからであり、この試合は2-1の勝利に終わった。また、フィリピン・ネイビーFCからハットトリックも達成し、この試合は14-0の快勝に終わった。初退場となったのは、フィリピン・エア・フォースFC戦であり、相手選手のハーバート・バヨナと口論になった後に彼が突き、退場処分となった。この時3-1で優勢であったロヨラ・メラルコ・スパークスFCであったが、彼の退場後ものの1分で2得点を奪われ引分に持ち込まれた[5][6][7]。
ダバオ・アギラスFC
フィリピン・フットボールリーグ創設一年目の2017年8月3日、ヤングハズバンド兄弟はダバオ・アギラスFCに移籍した[8]。2018年シーズンまでプレーを続けたが、12月にクラブが活動停止したため無所属になる。
セレス・ネグロスFC
8ヶ月のブランクを経て2019年8月18日、セレス・ネグロスFCに加入[9]。
2020年6月25日、現役引退を表明[10]。当初は2020年シーズン終了までセレスでプレーするつもりであったがCOVID-19パンデミックによってシーズン開始が延期されたことを受けて、予定を早めて引退を決めたとのことである[11]。
Remove ads
代表歴
2005年初からフィリピンサッカー連盟は彼の能力に注目しており、その情報は報道によると指導者側から齎されたと云う。その後、ヤングハズバンド兄弟は2005年の東南アジア競技大会のメンバーに呼ばれ、歓声のうちに合流した。
AFCチャレンジカップ2012の予選ではモンゴル国代表から前半4分に得点を奪い、2戦合計で4-3となり、チームのプレーオフ突破に大きな役割を果たした。
2015年6月11日に行われたバーレーン代表戦では弟がメンバーに選ばれた他方でメンバーから漏れた。これについて監督のトーマス・ドゥーリーは「パフォーマンスで考えた。誰であるか、何歳であるか、どれほどの知名度があるかではない。試合に出場する機会を得るためにはトレーニングでハードワークする事が必要である」と述べた[12]。
個人成績
個人
彼はイギリス人の父親とフィリピン人の母親の間に生まれた。弟のフィリップ・ヤングハズバンドもフィリピン代表のサッカー選手でチームメイトである。
参考文献
外部リンク
Wikiwand - on
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Remove ads