Remove ads

シャーリー・モテ(Charly Mottet、1962年12月16日- )は、フランスヴァランス出身の元自転車競技選手。シャーリィ・モテという表記も見られる。

Thumb
シャーリー・モテ
概要 獲得メダル, フランス ...
閉じる

経歴

1983年シリル・ギマール率いるルノー・エルフチームの一員としてプロデビュー。この当時、ベルナール・イノーがチームのエースであり、また、後にルノーのエースとなるローラン・フィニョン、さらにアメリカ人選手のグレッグ・レモンが在籍していた。翌1984年にイノーはレモンらを引き連れてルノーを飛び出してラ・ヴィ・クレールチームを結成するが、モテはフィニョンとともにチームに残る。その後はしばらく、フィニョンのアシストに回ったが、1986年世界自転車選手権・個人ロードでは2位に食い込んだ。

転機が訪れたのは1987年。エースのフィニョンが絶不調に陥っていたこともあり、同年のドーフィネ・リベレを制したモテが、この年のツール・ド・フランスでは、途中からフィニョンに替わってエースの座に君臨。一時はマイヨジョーヌを奪うなど、最後まで総合優勝争いの一角に加わった(最終順位は4位)。

1988年ジロ・ディ・ロンバルディアを制覇した他、最後のスーパープレスティージュ受賞にも輝く。1989年、ついにギマール、フィニョンと袂を分かち、R.M.Oチームに移籍。2度目のドーフィネ・リベレを制した他、UCI・ロードワールドランキングスにおいて、元チームメイトのフィニョンと首位争いを演じ、リアルタイムランキングでは2回に亘って「世界ランキング第1位」となり、また年間ランキングでも第2位(1位はフィニョン)となる。

1990年ツール・ド・ロマンディチューリッヒ選手権を制した他、ジロ・デ・イタリアではジャンニ・ブーニョに次いで総合2位。1991年ツール・ド・フランス総合4位の実績を残す。1992年、3度目のドーフィネ・リベレ制覇を果たしたが、モテがメジャーレースで活躍したのは事実上ここまでであった。

1994年に引退。引退後はツール・ド・フランスの主催運営者であるASOに勤務しながら、国際自転車競技連合(UCI)のアドバイザーも務めている。

Remove ads

外部リンク

Wikiwand in your browser!

Seamless Wikipedia browsing. On steroids.

Every time you click a link to Wikipedia, Wiktionary or Wikiquote in your browser's search results, it will show the modern Wikiwand interface.

Wikiwand extension is a five stars, simple, with minimum permission required to keep your browsing private, safe and transparent.

Remove ads