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日本の租税に関する報告書 ウィキペディアから
シャウプ勧告(シャウプかんこく)は、GHQの要請によって1949年(昭和24年)に結成されたカール・シャウプを団長とする日本税制使節団( シャウプ使節団 (フランス語: Mission Shoup ) )による日本の租税に関する報告書である。正式名称を「シャウプ使節団日本税制報告書」(シャウプしせつだんにほんぜいせいほうこくしょ、英語: Report on Japanese Taxation by the Shoup Misson)と呼ばれる。
1949年(昭和24年)8月27日付と1950年(昭和25年)9月21日付の2つの報告書からなり、日本の戦後税制に大きな影響を与えた。
シャウプは、ヴィクリーとウォレンと伴に、1949年(昭和24年)5月10日に来日し、「世界で最もすぐれた税制を日本に構築する」という理想に燃えて、同年8月26日に帰国するまでの4ヶ月弱の間に、政府、地方自治体の財政担当者、学者との懇談や、全国各地の視察を精力的にこなし、極めて短期間で膨大な報告書をまとめあげた。同使節団のメンバーは次の通りである。
報告書が指摘した、それまでの日本の税制の問題点は以下のようなものである。
勧告は、これらの是正を目的とした。
報告書で勧告している、税制改革の骨子は以下のようなものである。
日本政府は、勧告を元にして税制改革を行ったが、その過程で政治家の介入などにより、一部で勧告とは異なる税制となった。 このときに作られた税制の基本体系は現在でも大きくは変わっていない。
シャウプ勧告を元にした税制改革は1951年に行われ、その後数年のうちに運用上の困難などを理由に一部で改廃が行われた。
間接税は、勧告の直接税中心主義に従って、ほぼ勧告通りとなった。その後、一部で間接税が新設されたが、いずれも大きなものではなく、1989年に消費税が導入されるまで直接税中心主義は変わらなかった。
シャウプ勧告は、地方財政の強化を大きな目的としていた。地方税法の提案が行われた1950年3月25日の衆議院地方行政委員会における説明によると、戦前の地方税は国税に対する付加税としての性格が強く、税金の種類は多いがいずれも税収は少なく、財政力が微弱であった。そこで、地方税収入を拡充し、地方税制の自主性を強化して、地方自治の根基を培うことを目標に、税制改正が提案された。その案によると、税の種類が減らされ、道府県税は附加価値税等を、市町村税は市町村民税や固定資産税を中心に再編成される。同時に、財源の偏在を調整するために平衡交付金制度が設置された。このうち、附加価値税は地方税法に規定されたものの、導入が何回か延期され、実施されないまま規定が削除された。
このシャウプ勧告に基づく地方税制は、基本的な構成は現在まで継続しているものの、その後一部が変更され、平衡交付金は地方交付税に変えられ、国庫補助金制度で補助金の使途が国によって定められ、「三割自治」と呼ばれるように地方自治の独立性が失われたと言われている。その後長い間この状態が続き、地方自治の独立性の強化は、2001年の小泉政権の誕生による「三位一体の改革」でようやく議論されることとなった。
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