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BRLS-8B 「ザスロン」は、1975年から1980年にかけてソビエト連邦のV・V・チホミーロフ記念機器製作科学研究所が開発した全天候型多機能空中レーダー。戦闘機用としては世界初となるパッシブ・フェーズドアレイ(PESA)レーダーであり、MiG-31要撃機の火器管制システムの一部として開発された。
NATOのコードネームはフラッシュダンスで、「SBI-16」「RP-31」「N007」「S-800」などの名称が付けられている。名称はロシア語で「防壁」という意味。
ザスロンは、パッシブ・フェーズドアレイ(PESA)とデジタル信号処理を採用したパルスドップラーレーダーである。ザスロンで使用するアンテナは、2つの独立した電子制御アレイ、1,700個の放射素子を持つXバンドレーダと64個の放射素子を持つLバンドトランスポンダを1つのアンテナにまとめたマルチチャンネルシステムである[4]。アンテナの直径は1.1mで、方位角+/-70度、仰俯角+70/60度の走査範囲で固定されている[5]。レーダーのXバンド構成品には、可逆フェライト位相シフターを採用しており、約1.2msでビームの配置ができる。機械スキャンによる前世代のレーダーが同機能の実行に数秒かかるのに対し、この性能の高さはフェーズドアレイレーダーの大きな利点の一つである。ザスロンレーダーの探知性能は、レーダー断面積(RCS)16m2の目標に対して200kmとされ、R-33レーダー誘導型またはR-40、R-60 IR誘導型空対空ミサイルのいずれかで一度に10目標同時追尾・4目標同時交戦が可能とされている。ザスロンはソ連初のルックダウン・シュートダウン可能なレーダーであった。これにより、アメリカ空軍の航空機や巡航ミサイルが探知されずにソ連領空に低空で(地形遮蔽/クラッター操作を介して)侵入することがはるかに困難になったという。
このレーダーは、PESAレーダー(それまでは地上システムとB-1戦略爆撃機にしか搭載されていなかった)が初めてジェット戦闘機に搭載されたため、航空界で画期的な出来事となった。ザスロンレーダーは、1991年のパリ航空ショーでMiG-31要撃機とともに公開され、ロシア側は戦闘機のレドームを取り外しザスロンの革新的なアンテナが見られるようにした。また、パリではアメリカ空軍のF-117 ナイトホーク(ステルス技術を用いた革新的な戦闘機)も展示され、ロシア人はザスロンがF-117を探知できるかどうかを確かめるためにMiG-31と一緒に空中へ連れていくべきだと提案した。ロシアの専門家はザスロンが飛行中にF-117を探知できると確信していたが、残念ながらそのような競争は行われなかった[4]。
ザスロンはアルゴン-15Aコンピュータ(ソ連の電子計算工学研究センター(NICEVT、現NIIアルゴン)が設計したソ連初の航空機搭載デジタルコンピュータ)を使用している[6][7]。
1981年に採用されたRP-31 N007(ロシア語-ザスロン)[8]。
他のバージョンとMiG-31BMの基本的な違い[15]
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