サントリーニ・カルデラ

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サントリーニ・カルデラmap

サントリーニ・カルデラ: καλδέρα Σαντορίνης: Santorini caldera)は、エーゲ海南部に存在するカルデラ。大部分は海中に没しているが、外輪山に当たる部分としてサントリーニ島ティラシア島アスプロニシ島が、中央部にネア・カメニ島及びパレア・カメニ島が海面上に存在する。

サントリーニ・カルデラ
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衛星写真
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地図。焦茶色の部分は標高200 m以上

地理と地質

カルデラの規模は、南北12 km、東西7 km。周囲には、外輪山に相当する高さ200 mから300 mの崖がある。サントリーニ島は白い住居群が崖に沿って建てられており、その景観が観光資源の一つとなっている[1]

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各島の面積
面積[2]
サントリーニ島75.8 km2
ティラシア島9.3 km2
アスプロニシ島0.1 km2
ネア・カメニ島3.4 km2
パレア・カメニ島0.5 km2
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サントリーニ・カルデラは、南エーゲ海火山弧英語版の中で最も活発的な部分である。アフリカプレートエーゲ海プレートの下に沈み込んでいることから、北東方向へ1年に5 cm移動しており、地震の震源は150 kmから170 kmの深さである[2]

サントリーニ島では火山岩以外の岩石も確認されており、島南東部から南部の地域に加え、カルデラ内部の一部で露出している[3]

火口に当たる中央部の2島は、溶岩によって形成されている。

火山

要約
視点

カルデラを構成するのは4層の楯状火山である。最古のものは18万BP、次いで7万BPのスカロス、21000BPのリヴァ岬、最新のものとなる約3600BPのミノア噴火によって形成された現在のカルデラに至る[4]

中央部の2島は、海中での噴火によって形成されたものである[5]

休止期間は長いものの、分類としては活火山に該当する。数多くの噴火は、大規模では無い噴出に留まり、暗色の溶岩が溶岩楯状地をカルデラ中央部の2島に作っている。現在のところ最後の噴火は1950年のもので、その後は主に火口内部に存在する噴気孔からの噴出に留まっている[6]

2011年から2012年にかけてGPSを利用した測定装置により、火山活動による変化が測定された[7]

紀元前17世紀にこの地で発生したミノア噴火が、アトランティス伝説の元と考えられている[8]。これは、火山爆発指数で7に相当する噴火であり、これが最大の噴火であると見積もられている[9]

噴火の年表

さらに見る 噴火, 終了 ...
主な噴火の年表[10]
噴火終了備考
紀元前1610年不明ミノア噴火。前後14年のぶれがある。中央部の噴火、割れ目噴火海中噴火爆発的噴火火砕流水蒸気爆発ラハール津波、カルデラの崩壊、避難、犠牲者、大規模な物理的な損壊が発生。
紀元前197年不明パレア・カメニ島の誕生[1]。中央部の噴火、割れ目噴火、海中噴火、爆発的噴火。[11]
46年12月31日47年2月1日終了日には前後30日のぶれがある。中央部の噴火、割れ目噴火、海中噴火、爆発的噴火、溶岩流溶岩円頂丘、津波、新島の誕生。
726年7月25日不明前後45日のぶれがある。中央部の噴火、割れ目噴火、海中噴火、爆発的噴火、溶岩流、溶岩円頂丘、被害の発生、新島の誕生。
1570年1573年中央部の噴火、割れ目噴火、海中噴火、爆発的噴火、溶岩流、溶岩円頂丘、新島の誕生。
1650年9月27日1650年12月6日山腹噴火、割れ目噴火、海中噴火、爆発的噴火、溶岩流、津波、新島の誕生。犠牲者、被害の発生。
1707年5月23日1711年9月14日ネア・カメニ島の誕生[1]。中央部の噴火、割れ目噴火、海中噴火、爆発的噴火、溶岩流、溶岩円頂丘、被害の発生。
1866年1月26日1870年10月15日中央部の噴火、割れ目噴火、海中噴火、爆発的噴火、溶岩流、溶岩円頂丘、新島の誕生。犠牲者、被害、避難の発生。
1925年8月11日1928年3月17日中央部の噴火、割れ目噴火、爆発的噴火、水蒸気爆発、溶岩流、溶岩円頂丘。
1939年8月20日1941年7月2日終了日に前後1日のぶれがある。中央部の噴火、割れ目噴火、海中噴火、爆発的噴火、水蒸気爆発、溶岩流、溶岩円頂丘。被害の発生。
1950年1月10日1950年2月2日中央部の噴火、割れ目噴火、海中噴火、爆発的噴火、水蒸気爆発、溶岩流、溶岩円頂丘。
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脚注

外部リンク

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