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サロンカーなにわ
西日本旅客鉄道が保有しているジョイフルトレイン ウィキペディアから
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サロンカーなにわは、日本国有鉄道(国鉄)が1983年(昭和58年)に改造製作し、1987年(昭和62年)4月の国鉄分割民営化以降は西日本旅客鉄道(JR西日本)が保有する欧風客車で、ジョイフルトレインと呼ばれる車両の一種である。鉄道ファンからは、所属区所から「大サロ」「ミハサロ」[1]とも呼ばれる。
概要
要約
視点
東京南鉄道管理局に配属された「サロンエクスプレス東京」とほぼ同時期の1983年9月に登場した。
1983年3月から9月にかけて、高砂工場において14系客車から改造が行われた[2][3]。予算通達は、両端車(1・7号車)が「欧風客車に改造(B)」、中間車(2 - 6号車)が「欧風客車に改造(A)」とされた[3]。改造後の形式は、両端車がスロフ14形700番台、中間車がオロ14形700番台で、東京南局の「サロンエクスプレス東京」の続番である。全車両がグリーン車。7両編成で内容は次のとおり。
それまでに改造されたお座敷列車とは異なり、サロンエクスプレス東京と並び、初めて欧風の内外装を施しており、車内は2人+1人掛け千鳥配置のリクライニングシートとなった。シートピッチが広げられたため種車の窓配置とシートピッチが合っていない。臨時夜行列車への使用など自由度を高めるため、サロンエクスプレス東京とは異なり、コンパートメント方式は採用されなかった。スロフ14 703はパノラマラウンジカーとなっている。スロフ14 704の車端は展望室となっている。
- 1号車:スロフ14 703(旧スハフ14 31) - 展望室・ラウンジ・スナック(定員外19人)
- 2号車:オロ14 706(旧オハ14 177) - 定員39人
- 3号車:オロ14 707(旧オハ14 178) - 定員39人
- 4号車:オロ14 708(旧オハ14 179) - 定員39人
- 5号車:オロ14 709(旧オハ14 170) - 定員39人
- 6号車:オロ14 710(旧オハ14 180) - 定員39人
- 7号車:スロフ14 704(旧スハフ14 52) - 展望室(定員外12人)・客室定員24人
登場までの経緯
国鉄大阪鉄道管理局(大鉄局)では、1979年(昭和54年)7月よりスロ62形・スロフ62形客車を改造したお座敷客車であるスロ81形・スロフ81形客車の6両編成(宮原客車区所属)を運用していたがその需要は多く、年間運用件数の約2倍にあたる予約申込みを断らざるを得ない状況が続いていた[3]。旅客ニーズの多様化や目的地に直行できるという利点を持ち、ロングラン化、デラックス化した観光バス[5]に代表される他交通機関のサービス水準の向上に対応するとともに、若年層を中心とした需要開拓を狙った新しいタイプの車両の構想が1981年度より大鉄局内で検討され[3]、和風客車に次ぐ「第2弾のイベントカー[6]」として欧風客車「サロンカーなにわ」が登場した。
改造内容
- オロ14形(欧風客車に改造(A))
後位出入口は撤去し、出入台床面を平らにして通路にする[7]。客室内の通路は560mm幅[8]で2 - 4位側に寄せ、座席部分の床は60mmかさ上げされている[9]。通路部分にはビニールカーペット、座席部分には9mm厚のじゅうたんを敷いている[7][10][11]。座席は回転式リクライニングシートを1,160mmピッチで一人掛け用と二人掛け用を交互に13列配置した[12]。座席は45度ピッチで固定が可能な360度回転機構を備えており、様々な座席レイアウトが可能である[8][注 1]。
前位仕切壁には50インチビデオスクリーンとカラオケ用ジュークボックスを[13]、後位仕切壁には700mm×1,000mmのステンドグラスと下駄箱を設置した[14][7]。
客室の色調は、天井・壁がベージュ系のクロス(防炎1級)張りとし、じゅうたんはクローム系、シートモケットはダークローズである[11]。
- スロフ14形(欧風客車に改造(B))
乗務員室(前位寄り)が編成中間側に来るように組成され、後位寄りの骨組みを流用して前位寄りを切妻に改造し、車端ダンパーを装着している[15]。乗務員室室内の形状は改造前と大きく変わっておらず、妻面の窓は塞がれている[15]。後位出入口は撤去され、鋼板で塞いで客室化[12]。展望室の設置にあたっては、旧後位出入口から車端側に関しては台枠を残して撤去し、台枠の延長を行ったうえで新規に骨組みを構築した[15]。窓部分はビル建築用のアルミサッシを流用して上下2段分割構造とし、8.3mmの合わせガラス(外側3mm、内側5mm、フィルム0.3mm)を使用した5面体構造とした[15]。当初は厚さが8 - 10mm程度のポリカーボネートを使用する予定であったが、高コストや傷が付きやすいことから合わせガラスに変更された[15]。
7号車(スロフ14 704)の座席部分は、中間車のそれと同様とし、回転式リクライニングシートを1,160mmピッチで一人掛け用と二人掛け用を交互に8列設置した[13]。
- 塗装
ローングリーンをベースに金色のストライプを配した[16]。ブルートレインに銀色のストライプがモダンな感じを与えるのに対して、金色のストライプでクラシックな感じを与え、ローングリーンのヨーロッパ調の色彩とマッチさせている[16]。
1994年のお召し列車初充当を前に実施された更新工事で、色味の異なる濃緑色と黄色のストライプへ塗色変更された[17]。
- オロ14形
- スロフ14形
- スロフ14形 先頭部
- スロフ14形 後位改造箇所(前位の台枠が残存)
- オロ14形 車内
- スロフ14-703 ラウンジカー
- スロフ14-704 展望室
- 1983年から1994年までの旧塗装
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運用
要約
視点
1983年9月24日から営業運転を開始した[18]。運用開始以来、宮原客車区(後・宮原総合運転所、現・網干総合車両所宮原支所)に配置されており、団体臨時列車のほか、多客時の臨時列車としても運行されることがある。乗客数や運用線区に応じて1両あるいは2両を減車した編成で運行されることもある。
特徴的な運用としては、国鉄時代の1984年(昭和59年)12月に宇高連絡船で車両航送された上で[注 2]、四国での営業を行なったことがある[1]。これは本車両に航送用フックが装備されていたことから実現した[1]が、ジョイフルトレインが鉄道連絡船で航送された例は初めてであり、また14系客車の四国乗り入れおよび四国地区での客車ジョイフルトレイン走行もこの時が初めてとなった。
1984年8月6日には、当時国鉄の現役車掌兼フォーク歌手として活動していた伊藤敏博が本車両に乗り込み、展望車でライブやサイン会を行うイベントを行った。なお、伊藤は国鉄職員の兼職は禁止の建前上、車掌として乗務する扱いであるため出演料ゼロ(ノーギャラ)であった。伊藤のヒット曲「景子」にちなみ『KEIKO号』として、大阪 - 金沢間で運転された[19]。
2008年(平成20年)8月には山口線にて、C57 1とC56 160の重連が本車両を牽引して、『SLやまぐちDX号』として運転された。本車両が蒸気機関車に牽引されたのはこのときが初めてである。2010年(平成22年)10月にも『SLやまぐちなにわ号』として運転されたが、復路は2008年運転時とは異なりプッシュプル牽引となった。
2016年(平成28年)11月25 - 28日には日本旅行が企画した団体専用夜行列車『サロンカーあかつき』として運行された[20]。11月25日から翌26日にかけて大阪 - 長崎間、27日から翌28日にかけて博多 - 大阪間で運転され、九州旅客鉄道(JR九州)の路線に1996年(平成8年)ごろの西鹿児島入線(ED76 61牽引)以来久しぶりに入線した(国鉄時代には「サロンカー明星」「サロンカー屋久島」など多客期の臨時夜行列車として九州で運行されたことがある)。
2017年(平成29年)3月18日 - 3月20日にはサロンカー大山、出雲として運行され、大阪 - 米子を往復した。
同年12月1 - 3日には日本旅行が企画した団体専用列車『サロンカーあさかぜ』として運行され、大阪 - 下関間を往復した[21]。
2019年(平成31年)4月30日 - 2019年(令和元年)5月2日には日本旅行が企画した団体専用夜行列車『サロンカー令和』として運行され、大阪 - 出雲市間を往復した。[22]
同年(令和元年)8月23 - 26日には『熊本デスティネーションキャンペーン』にあわせて日本旅行が企画した団体専用夜行列車『サロンカー明星』として約3年ぶりに九州旅客鉄道(JR九州)管内に入線。8月23日から翌24日にかけて大阪 - 熊本(回送で八代まで)間、25日から翌26日にかけて博多 - 大阪間で運転された[23]。
2024年(令和6年)3月12日に網干総合車両所宮原支所〜米原駅間で運行されるDD51牽引の訓練列車(通称''米原訓練'')に毎度使用される12系客車5両の替わりに(12系は京都鉄道博物館に2両貸し出していたため)サロンカーなにわ5両が使用された。
2024年(令和6年)5月12日には日本旅行が大阪〜神戸間鉄道開業150周年記念プロジェクトの一環として、団体専用列車「サロンカーなにわ」「225系Aシート編成」で直行!網干総合車両所見学ツアーにDD51 1193牽引で大阪〜網干総合車両所までサロンカーなにわ5両が使用された[24]。
2024年(令和6年)11月には団体専用列車「急行サロンカーはくと」として、DD51 1191牽引で大阪~鳥取間(東海道本線・福知山線・山陰本線経由)を1往復運行した[25]。
2025年(R6年度)2月7日〜2月10日にかけてtabiwaトラベル企画「サロンカーなにわでゆく115系300番台湘南色・クモハ42電車 並び展示in下関総合車両所3日間」として、EF65-1128牽引で大阪駅〜下関駅〜大阪駅間(東海道本線・山陽本線経由)で運転された[26]。
同年(R6年度)2月16日〜2月19日にかけてtabiwaトラベル企画「大阪来てな!TRAIN DAY 14系客車「サロンカーなにわ」車両所乗り入れミニツアー」として、 DD51-1191牽引で大阪駅〜宮原(操)間(東海道本線・東連絡線・西連絡線・北方直通貨物線経由)を3周した[27]。
同年(R6年度)2月22日には、tabiwaトラベル企画「「サロンカーなにわ」で行く出雲 381系ゆったりやくも編成 幕回し展示と車内見学 3日間」として、DD51-1183牽引で大阪駅〜出雲市駅〜大阪駅間(東海道本線・山陽本線・伯備線・山陰本線・福知山線)経由で運転された[28]。
2025年(令和7年)3月1日にはtabiwaトラベル特別企画「サロンカーなにわ 琵琶湖一周号」として、EF65 1128牽引で大阪~敦賀間を、往路は湖西線経由、復路は北陸本線、東海道本線経由で運転された[29]。
2025年(令和7年)3月7日~10日にかけて、tabiwaトラベルによる「「サロンカーなにわ」で行く 西日本一周の旅 山陰先回り 4日間(車中2泊)」として、DD51 1191牽引で大阪~下関間を運行した。往路は3月7日から8日にかけて、福知山線、山陰本線、山口線、山陽本線経由、復路は3月9日から10日にかけて、山陽本線、東海道本線経由で運転された[30]。
2025年(令和7年)4月4日〜4月7日、3月7日〜10日の「サロンカーなにわ 西日本一周号(山陰先回り)」に継ぎ、第二弾となる「サロンカーなにわ 西日本一周号(山陽先回り)」として、DD51 1183牽引で大阪〜下関間を運行。往路は東海道本線、山陽本線経由、復路は山口線、山陰本線、福知山線経由で運転された。[31]
2025年(令和7年)4月18日〜20日にはtabiwaトラベル企画の「サロンカーはやたま」として、DD51 1191+1183牽引で和歌山〜新宮間(紀勢本線経由)を1往復した。この運行はDD51による重連運転が行われた珍しい例である。[32]
- 四国で運行された「サロンカーなにわ 土佐路号」(1984年)
- 宇高連絡船で航送の上連絡船から引き出される「サロンカーなにわ」(1984年12月)
- EF60 503牽引による「サロンカー紀州路」(1986年4月28日)
- 福知山線で運用される「サロンカーなにわ」(1986年7月1日)
- C57形とC56形の重連により牽引される「SLやまぐちDX号」(2008年8月3日)
- 団体列車として播但線で運行される「サロンカーなにわ」(2009年5月16日)
- EF65 1133牽引による団体列車「サロンカーあさかぜ」(2017年12月3日)
- DD51形の重連によって牽引された「サロンカーはやたま」(2025年4月20日)
お召し列車としての運用
国鉄分割民営化以降はJR西日本管内で運行されるお召し列車にもしばしば使用されている。この場合は5両編成[注 3]に減車され、テールサインにはJRマークが掲げられ[33]、側面行先幕は白地となる。このため1994年に実施された更新工事で、御乗用車両となる1号車スロフ14 703の窓ガラスが防弾仕様とされており、1号車に一番近い2号車オロ14 706のトイレのみ洋式化改造するなど、お召し列車としての運用を想定した様々な改造が施されている[17]。
- 運転記録[34]
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脚注
参考文献
関連項目
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