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サトミ・ヒトミ・ユキコの何かいいことないか仔猫ちゃん(サトミ・ヒトミ・ユキコのなにかいいことないかこねこちゃん)は、1983年10月16日から1984年3月25日まで毎日放送(MBSラジオ)で放送されていたラジオ番組。
当番組はサンミュージックが製作に係わった、『トキメキパジャマ MARI・NORI・AKIのドッキンタイム』(ニッポン放送、1986年4月 - 1986年10月)まで続く一連のシリーズの枠のラジオ番組の第一弾である。
当番組でエグゼクティブ・プロデューサーを務めた我妻忠義が、松田聖子のマネジャーとして『ザ・パンチ・パンチ・パンチ』(ニッポン放送)の現場に立ち会い、聖子がこの番組を卒業してからも、我妻の頭の中にはこの番組の雰囲気がイメージとして残っていたことから、このような雰囲気の番組が出来ないものかと考えて企画したものであり、このような経緯からスタートしたのが、この番組である[1]。
パーソナリティにはサンミュージックの所属タレントの中から、この年(1983年)の11月にシングル『東京ジンタ』でレコードデビューしたばかりの滝里美、同じ1983年にサンミュージック入りしたばかりの岡田有希子、そして当時、サンミュージックタレントスクール研究生だった川久保仁美[2]の3人が選ばれた。
当番組は毎日放送のある近畿広域圏のみでの放送だったが[2]、北海道や九州からも全国各地からハガキが届いていたという[2]。
当番組終了後の1984年4月9日から、放送局を毎日放送から東海ラジオに移し、サンミュージック枠のシリーズの第二弾として「奈美子・有希子・小緒里のドキドキラジオ」がスタート[3]。当番組からはパーソナリティは岡田有希子のみ、スタッフは構成の田中のぶら多くが続投した。
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