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ゲイリー・ムーアのアルバム ウィキペディアから
『コリドーズ・オブ・パワー[注釈 1]』(Corridors of Power)は、北アイルランドのギタリスト、ゲイリー・ムーアが1982年に発表した4作目のスタジオ・アルバム[注釈 2]。ヴァージン・レコード移籍第1弾アルバムに当たる。
本作に参加したニール・マーレイとイアン・ペイスは、当初は一時的なサポート・メンバーとして加入したが、最終的にはムーアのバンドの正式メンバーとなり、マーレイは1983年11月頃にホワイトスネイクに再加入するまで、ペイスは1984年に再結成ディープ・パープルに加わるまで在籍した[5]。「ウィッシング・ウェル」は、フリーがアルバム『ハートブレイカー』(1973年)に発表した曲のカヴァーである[6]。「エンド・オブ・ザ・ワールド」は、2分に及ぶギター・ソロで始まり、ジャック・ブルースがボーカルでゲスト参加している[7]。
1982年当時には、同年8月26日のマーキー・クラブ公演におけるライブ録音を収録したEPを抱き合わせた限定盤も発売されている[8]。
2002年に発売されたリマスター盤に追加収録された「Love Can Make a Fool of You」は浜田麻里に提供した楽曲「LOVE LOVE LOVE」(アルバム『RAINBOW DREAM』収録)の原曲音源で、ムーアの死後にリリースされた『How Blue Can You Get』(2021年)にも別アレンジの物が収録されている。
全英アルバムチャートでは6週トップ100入りして最高30位を記録し、ムーアのアルバムとしては『バック・オン・ザ・ストリーツ』(1978年)以来の全英トップ100入りを果たした[3]。日本のオリコンLPチャートでは13週トップ100入りし、最高29位を記録した[2]。アメリカでは13週Billboard 200入りし、1983年6月4日に最高149位を記録した[4]。
Eduardo Rivadaviaはオールミュージックにおいて5点満点中4点を付け「ゲイリー・ムーアが初めて発表した、純然たるヘヴィメタル・アルバム」と評している[7]。
本作のリリースに伴うツアーでは、マーレイとペイスに加えて、元ユーライア・ヒープのジョン・スローマン(ボーカル、キーボード)と、かつてムーアと共にコロシアムIIで活動していたドン・エイリー(キーボード)が帯同し、1983年に行われた日本公演の模様はライブ・アルバム『ロッキン・エヴリ・ナイト (ライヴ・イン・ジャパン)』に収録された[5]。しかし、スローマンはツアーを通じて喉の不調を抱えていたため、1983年2月頃に解雇され、以後の日程は4人編成で行われた[5]。また、エイリーは後にオジー・オズボーン・バンドに再加入したため、1983年6月以降のアメリカ・ツアーではニール・カーターがキーボードを担当した[5]。
特記なき楽曲はゲイリー・ムーア作。
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