グループ・ブリュッセル・ランバート

ベルギーの投資会社 ウィキペディアから

グループ・ブリュッセル・ランバート

グループ・ブリュッセル・ランバートGroupe Bruxelles LambertGBL)はベルギーの投資会社。GBL のルーツはランベール家にある。GBL のレオン・ランベールパリ・ロチルド家 ギュスターヴのひ孫にあたる。

概要 種類, 本社所在地 ...
Groupe Bruxelles Lambert
Groep Brussel Lambert
種類 公開会社Euronext: GBL
本社所在地 ベルギーブリュッセル
設立 1831年(ランベール銀行)[1]
業種 その他金融
純利益 687.5百万ユーロ(2008年)[2]
総資産 14,040百万ユーロ(2008年)[2]
従業員数 35人 (2008年)[2]
関係する人物 Albert Frère 取締役会会長, Gérald Frère Managing director
外部リンク https://www.gbl.be/en
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概要

ベルギー国内で十指に入る会社で1956年からBEL20の構成銘柄となっている。2014年12月31日現在、ロスチャイルドのイメリーズを支配している。

1975年、ロスチャイルド系のランベール銀行がブリュッセル銀行(1871年ジャック・エレラが創業)と合併してGBL となった[1]

GBL は1976年にドレクセル・バーナム・ランベールの株式28.3%を支配、やがて支配率を35%に高めこれを子会社とした[3]。昔、ドレクセルはリッグス銀行と共に米墨戦争で融資を行った。グラス・スティーガル法が出てからはJPモルガンに吸収された。1965年、ブラウン・ブラザーズ・ハリマンから分離した投資部門のHarriman, Ripley and Company と合併した。マイケル・ミルケンのいるドレクセルを通して、GBL はジャンク債コールバーグ・クラビス・ロバーツなどから独占的に引受けてレバレッジド・バイアウトを流行させ、またジャンク債引受時に得た情報をL. F. ロスチャイルドのアイヴァン・ボウスキーやキダー・ピーボディ[注釈 1]のマーティン・シーゲルに与えてインサイダー取引の便宜を図った[4][5][6][注釈 2]。こうした違法な取引で課徴され、ドレクセルは1994年に倒産した。

ドレクセルを使ったビッグ・ディールが全米に巻き起こるのと並行して、GBL の参加者に交代が起こっていた。1981年にPargesa Holding S.A. ができて、それがすぐGBL の経営権を握った。このパルゲサSA はコンパニー・ナショナル・ア・ポトファイPower Corporation of CanadaBNPパリバが三頭構造で支配していた。2004年12月31日時点でパルゲサSA がGBLの発行済み株式の48.0%を保有、GBL 自身も自己株式を4.8%保有し、つまりパルゲサSAが議決権の実質過半数を所有した。

2013年6月、アニェリ家エクソールが、認証企業SGS株の15%を引き換えにしてGBL株20億ユーロ分を取得した[8]

データ

2008年12月31日時点でGBL は以下の企業に資本参加している[2]

さらに見る 企業名, 保有割合 ...
企業名 保有割合 議決権行使割合
フランスの旗GDFスエズ5.3%5.3%
スペインの旗イベルドローラ0.6%0.6%
フランスの旗Imerys30.5%37.0%
フランスの旗ラファージュ21.1%28.5%
フランスの旗ペルノ・リカール8.2%7.4%
フランスの旗スエズ7.1%7.1%
フランスの旗トタル4.0%3.6%
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2014年12月31日現在の保有銘柄とポートフォリオ保有割合は次のとおり[9]

さらに見る 企業名, 株式保有割合 ...
企業名 株式保有割合 ポートフォリオ保有割合
Imerys56.4%17.4%
ラファージュ21.1%23.4%
ペルノ・リカール7.5%12.2%
ソシエテ・ジェネラル15.0%13.2%
GDFスエズ2.4%6.7%
トタル3.0%20.3%
ユミコア12.4%3.1%
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ローノワ伯爵

戦間期パウル・ファン・ゼーラント内閣による銀商分離政策により、1934年12月28日にブリュッセル銀行からは投資銀行ブリュフィナ(Brufina)が独立していた[1]。ブリュフィナは、親であるブリュッセル銀行だけでなくシュナイダーベルギー総合会社と並びアーベッドの主要株主であった[注釈 3]。ブリュッセル銀行とブリュフィナは、ローノワ伯爵(Comte de Launoit)の金融グループである。第一次世界大戦後に鉄鋼会社ウーグレ・マリエ(Ougrée-Marihaye)が4分割された。その一つのコフィナンデュス(Cofinindus)も同伯爵の手中にあった。また一つの製鉄業本体は新ウーグレ社と呼ばれ、主にブリュフィナとコフィナンデュスを通じて伯爵にコントロールされながら、1955年にジョン・コックリルと合同しコックリル・ウーグレとなった。これがやがてアーベッドなどと合同し、現在のアルセロール・ミッタルとなった。2014年に死亡したローノワ伯爵のジャン・ピエールは、GBL副会長とアクサ・ベルギー会長を務めた。

脚注

関連項目

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