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ポルトガルのサッカー選手 (1983-) ウィキペディアから
クストディオ・ミゲル・ディアス・デ・カストロ(Custódio Miguel Dias de Castro, 1983年5月24日 - )は、ポルトガル・ギマランイス出身の元同国代表サッカー選手、サッカー指導者。ポジションは守備的MF。単にクストディオ (Custódio) としても知られている。
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名前 | ||||||
本名 |
クストディオ・ミゲル・ディアス・デ・カストロ Custódio Miguel Dias de Castro | |||||
ラテン文字 | Custódio Castro | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | ポルトガル | |||||
生年月日 | 1983年5月24日(41歳) | |||||
出身地 | ブラガ県ギマランイス | |||||
身長 | 181m | |||||
体重 | 75kg | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | MF | |||||
利き足 | 右足 | |||||
ユース | ||||||
1996-1999 | ヴィトーリア・ギマランイス | |||||
1999-2001 | スポルティングCP | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
2001-2003 | スポルティングCP B | 48 | (5) | |||
2002-2007 | スポルティングCP | 95 | (4) | |||
2007-2008 | ディナモ・モスクワ | 9 | (0) | |||
2009-2010 | ヴィトーリア・ギマランイス | 28 | (0) | |||
2010-2015 | ブラガ | 87 | (8) | |||
2015-2017 | アクヒサル | 76 | (4) | |||
通算 | 342 | (21) | ||||
代表歴 | ||||||
1999 | ポルトガル U-15 | 5 | (0) | |||
2000 | ポルトガル U-16 | 11 | (2) | |||
2000 | ポルトガル U-17 | 7 | (1) | |||
2001–2003 | ポルトガル U-19 | 8 | (3) | |||
2003 | ポルトガル U-20 | 10 | (4) | |||
2003–2006 | ポルトガル U-21 | 13 | (0) | |||
2006 | ポルトガル B | 1 | (0) | |||
2012–2013 | ポルトガル | 10 | (0) | |||
監督歴 | ||||||
2020 | ブラガ | |||||
1. 国内リーグ戦に限る。2017年6月28日現在。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
ギマランイスに生まれたクストディオは、地元のヴィトーリアSCの下部組織からスポルティングCPの下部組織へ移籍。2001年からトップチームに登録され、2003年8月16日のアカデミカ・コインブラ戦(アウェイ2-1勝利)でトップリーグデビューを飾り、同2003-04シーズンは22試合に出場した。
以降を中心選手としてプレーし、2006-07シーズンには前シーズンの安定したプレーが認められパウロ・ベント監督から主将に任命されたが、同シーズン中に構想外となったことで出場機会が激減し、2007年6月にはロシア1部のFCディナモ・モスクワへと放出された[1]。
2009年1月にポルトガルの地へ戻り、同僚のシセロ・セメドと共にユース時代を過ごしたヴィトーリアSCへ移籍。2010年8月31日に同じミーニョ地方を拠点とするライバルのSCブラガへ移籍した[2]。
移籍1年目の2010-11シーズンは、ブラジル人で主将のヴァンジーニョ 、レアンドロ・サリーノとポジション争いをしながらも公式戦で約25試合に出場。2011年2月25日のCSマリティモ戦(アウェイ2-1勝利)で至近距離から決勝点にして移籍後初得点をあげる[3]等シーズンを4位で終えることに貢献した。5月5日、SLベンフィカとのUEFAヨーロッパリーグ 2010-11準決勝第2戦(ホーム1-0勝利)でコーナーキックから頭で得点を記録、これが決勝点となりブラガはアウェーゴールルールにより決勝進出した[4]。ちなみに第1戦は、ポジション争いをしているヴァンジーニョが得点を決めている。
翌2011-12シーズンは、ヴァンジーニョが移籍したこともあり出場機会が増加するかに思われた矢先、膝を怪我したことで前半戦を棒に振った[5]。怪我から復帰後は、ポジション争いをしていたサリーノがバイアーノの怪我により右SBへポジションを移し、さらに新加入のリビア代表のジャマル・マハマトがアフリカネイションズカップ2012へ参加するためチームを離脱したことで定期的に起用され、マリティモ戦(アウェイ2-1勝利)や古巣ギマランイス(4-0勝利)戦で得点を挙げる[6]など活躍し、シーズン終了までポジションを守った。
U-21代表としてUEFA U-21欧州選手権に2004年、2006年と2大会に出場した。
2012年5月14日、それまでA代表出場未経験だったものの、シーズン後半にクラブで好調だったことと、他のMF陣と異なる特徴をパウロ・ベント監督に買われ、クラブでの同僚で同様に代表未経験のミゲル・ロペスと共にUEFA EURO 2012のメンバーに選出された[7]。また、同大会に出場する全16チームの登録メンバーのうち、代表未経験の選手の中で29歳と最年長だった[8]。大会前の6月2日にリスボンで行われたトルコとの親善試合でA代表初出場を飾り[9]、グループステージのオランダ戦(2-1勝利)で負傷したラウール・メイレレスに代わり後半残り20分から大会初出場を果たした[10]。
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