ギ・ステファン

フランスのサッカー選手 ウィキペディアから

ギ・ステファン

ギ・ステファンGuy Stéphan1956年10月17日 - )は、フランスプルミリオー出身の元サッカー選手、現サッカー指導者。現役時代のポジションはFW。2012年よりディディエ・デシャンのアシスタントコーチとしてフランス代表で指導にあたっている。

概要 ギ・ステファン, 名前 ...
ギ・ステファン
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2011年のステファン
名前
ラテン文字 Guy Stéphan
基本情報
国籍 フランス
生年月日 (1956-10-17) 1956年10月17日(68歳)
出身地 プルミリオー
身長 175cm
選手情報
ポジション FW
ユース
1972-1973 ルアンネック・スポール
1973-1974 USペロー
1974-1976 スタッド・ラニオン
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1976-1980 ギャンガン 95 (30)
1980-1981 スタッド・レンヌ 23 (4)
1981-1983 ル・アーヴル 52 (10)
1983-1985 オルレアン 61 (9)
1985-1987 カーン 35 (6)
通算 266 (59)
代表歴
1977 フランス アマチュア 2 (0)
監督歴
1988-1989 モンソー・ブルゴーニュ
1989-1992 アヌシー
1995-1996 オリンピック・リヨン
1997 ボルドー
1998-2002 フランス (アシスタント)
2003-2005 セネガル
2005-2007 ベシクタシュ (アシスタント)
2009-2012 マルセイユ (アシスタント)
2012- フランス (アシスタント)
1. 国内リーグ戦に限る。
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経歴

現役時代は主にディビジョン・ドゥに所属していたクラブでプレーした。EAギャンガンでプロキャリアをスタートさせ、3シーズンで2部通算95試合30得点という記録を残し、スタッド・レンヌへ移籍するが、その後は2部のクラブを転々とした。1986-87シーズン終了後にSMカーンで現役を終えている[1]

現役引退後すぐにSMカーンからBチームの監督を務めることを提案され、ステファンは指導者としての道へ進んだ。1989-90シーズンから監督として指揮していたFCアヌシーではディビジョン・ドゥに昇格して間もないクラブを3シーズン連続で残留させた手腕を買われ、1992年にオリンピック・リヨンの監督だったレイモン・ドメネクからアシスタントコーチとして勧誘された。

1998 FIFAワールドカップ終了後、フランス代表の指揮を執ることとなったロジェ・ルメールのアシスタントコーチに就任すると、UEFA EURO 2000FIFAコンフェデレーションズカップ2001優勝を経験した。

2002年10月、監督として再び独り立ちすることを決意し、セネガル代表監督に就任した[2]。自身初のメジャー大会となったアフリカネイションズカップ2004では、グループステージこそ突破したもののベスト8で後にこの大会を優勝するチュニジア代表に敗れ、大会終了後に退任した[3]

2009年5月、ディディエ・デシャンのアシスタントコーチとしてオリンピック・マルセイユに加入[4]。3年後の2012年7月にデシャンがフランス代表監督へ抜擢されると、ステファンもこれに続き、UEFA EURO 2016準優勝や2018 FIFAワールドカップ優勝、2022 FIFAワールドカップ準優勝など数多くの大舞台を経験している。

人物

実子のジュリアン・ステファンフランス語版も同じく元サッカー選手でありながら指導者としても活躍しており、2021年から2年間はリーグ・アンに所属していたRCストラスブールの監督を務めていた[5]

脚注

外部リンク

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