カウンターカルチャー: counterculture)、対抗文化(たいこうぶんか)とはサブカルチャー(下位文化)の一部であり、その価値観や行動規範が主流社会の文化(メインカルチャー/ハイカルチャー)とは大きく異なり、しばしば主流の文化的慣習に反する文化のこと[1][2]。カウンターカルチャーは、メインカルチャーに取って代わる可能性を内包している(英語版:オルタナティブ・カルチャー)。ベトナム反戦運動や性革命は、代表的なカウンターカルチャーだった。カウンターカルチャー運動は若者文化を創造し、1960年後半から1970年代前半に西側諸国で劇的な社会変革を引き起こした。カウンター・カルチャーと若者の反乱はアメリカだけでなく、イギリスの「スウィンギング・ロンドン」、フランスの「パリ五月革命」、日本の学園紛争など、世界のかなりの国々に拡大していった。

ボヘミアン主義(1850-1910)、ビート・ジェネレーション(1950年代が中心)のような小規模なカウンターカルチャーと、1960年代の世界的カウンターカルチャー(1964-1974)がある。1960年代のヒッピーのサブカルチャーに対して、1970年代後半のパンク・サブカルチャーは反感を露わにした。

概要

カウンターカルチャーとは、既存の社会の根幹に関わる制度や規範、文化に対して、反発する価値をその存在意義として掲げる集団によって形成される文化である[3]。カウンター・カルチャーの時代には、反戦運動、学生運動、公民権運動、ブラック・パワー、先住民の権利尊重、ウーマン・リブ、同性愛の尊重などの運動が、きわめて活発に行われた。カウンター・カルチャーは、既存の「政治体制」、メイン・カルチャー、商業主義、伝統、古い価値観への対抗文化だった。彼らの提示する新しい社会こそがより良い人生をもたらすという希望を抱いている[4]。カウンターカルチャーを通じて、旧来の体制や保守的文化の問題点が浮き彫りにされた。

ヒッピー文化や、1969年のウッドストック・フェスティバルに代表されるような、1960年代のアメリカで隆盛をきわめた若者文化にその代表例を見る意見が広く一般化している。しかし、50年代や70年代以降にもカウンターカルチャーは存在したとされる。また、当時のベトナム戦争文化大革命公民権運動もカウンターカルチャーに大きな影響を与えた[5]

アンダーグラウンド・カルチャーとの関係

カウンターカルチャー・ムーブメントに後押しされて、いくつものアンダーグラウンド文化が開拓された。カウンターカルチャーとアンダーグラウンド・カルチャーの違いは、どちらも主流(メインストリーム)の文化や体制に対抗するが、カウンターカルチャーは実際に対抗勢力や新たな体制になりうる価値を持ち社会全体を巻き込むレベルとなるのに対し、アンダーグラウンドは常にメインストリームにはなり得ず一部のコアな層に支持されるサブカルチャーのレベルに止まることである[6]。メインストリームになった時点で新たな体制の一部となり、もはやアンダーグラウンドではなくなる傾向がある。

1960年代のカウンターカルチャー

要約
視点

1960年代のアメリカやヨーロッパを起点として、西側社会(主に資本主義システム)、旧来のキリスト教社会(同性愛の禁止、中絶の禁止、カソリックの場合、離婚の禁止)に対する文化的な対抗、権威主義(戦争、徴兵制、国家主義、警察の暴力)や保守主義人種差別、同性愛者差別など)、エスタブリッシュメント(支配層)、政治家、資本家・大企業(商業主義、搾取、自然破壊)への反発などの抵抗は、ヒッピーなどの若者を中心にした、カウンターカルチャーとして発展した[7]。彼らが唱えた価値観は、文化の多様性、ヒッピームーブメント、平等、性革命/自由恋愛/フリー・セックス、マイノリティの尊重、ウーマン・リブゲイの人権尊重(LGBT、性的マイノリティ)の受容、ドラッグの合法化、自然との調和・エコロジーなどである。

人種差別女性差別、ゲイなど性的マイノリティ差別は、60年代のカウンターカルチャームーブメントによって否定され、人権状況は大きく改善された。また、旧来のキリスト教による婚前交渉や離婚の禁止など厳格な性の規範は弱まり、自由な恋愛が肯定されるようになった。しかし、ドラッグの使用は中毒などの危険性もあり、メインストリームにはなり得ず、今でも反社会的と見なされている。言論の自由も先進国の憲法では保障されているが、猥褻な写真・画像・映像などは21世紀になってもタブーとされる傾向がある。

カウンターカルチャー運動は、ポピュラー音楽映画現代美術にも影響を及ぼした。当時のアメリカ社会におけるカウンターカルチャーの旗手としては、ティモシー・リアリーラルフ・ネーダージョン・レノンニール・ヤンググレイトフル・デッドローリング・ストーンズフランク・ザッパヴェルヴェット・アンダーグラウンドなどがあげられる。ジョン・レノンはベトナム反戦運動や、ジョン・シンクレア解放運動などに関わった。[8]イギリスではビートルズ、ローリング・ストーンズ、ザ・フー、マリー・クヮント、ビダル・サスーン、ツイッギーらのスウィンギング・ロンドン(英語圏では「スウィンギング60s」と呼ぶ)が盛り上がった。[9]

1969年のウッドストック・フェスティヴァルには、30組以上のロック・ミュージシャンなどが出演し、入場者は40万人以上集まり、フリーラブ&ピースそしてドラッグなど当時のカウンターカルチャーを反映した。また、1997年にはカウンターカルチャーの殿堂が設立され、アレン・ギンズバーグらだけでなく、ボブ・マーリィピーター・トッシュチーチ&チョンまでが殿堂入りしている。

21世紀にはカウンターカルチャー世代の「一部」は社会の中枢を担い、当初は若者にとって60s世代の「カウンターカルチャー」は体制派として反発も見られたが、ウクライナ戦争やガザ攻撃などにより、Z世代にも反戦を目指す傾向もみられるようになった。[10][11]。アメリカでの、大学英文科の人気凋落が日本でも報道されたが、[12]一方で2024年には、1972年にジョン・レノンとオノ・ヨーコがマイク・ダグラス・ショーに出演した際のドキュメンタリーが制作され、日米で放送されるなど、カウンターカルチャーの根強い人気が証明されている。[13]J Lennon Yoko Ono Mike Douglas Rollingstone 2025年2月8日閲覧</ref>

関連する社会運動
ロック・フェスティバル
音楽
映画
雑誌

日本のカウンターカルチャー

主なカウンターカルチャーの人物、グループ

出典・脚注

書籍

関連項目

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