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オートヴィル朝
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オートヴィル朝(オートヴィルちょう)は、イタリアの中世シチリア王国の王朝(1130年 - 1194年)。一般にはノルマン朝という呼称で知られている。
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歴史
オートヴィル家(Maison de Hauteville, イタリア語ではアルタヴィッラ家 Casa d'Altavilla)は、フランスのノルマンディー公国出身のノルマン系騎士の家系であったが、グリエルモ(鉄腕グリエルモ Guglielmo Braccio di Ferro)をはじめとするタンクレードの息子たちが南イタリアに移住し傭兵として活躍、そのうちロベール・ギスカール(ロベルト・イル・グイスカルド)が南イタリアおよびシチリア島を征服して、1059年に正式にローマ教皇によってプーリア・カラブリア公爵に封じられた。1072年、ロベルトは弟のルッジェーロ1世にシチリアを分与して伯爵とした。ロベルトの息子ボエモン1世は第1回十字軍に参加し、アンティオキア公国を建てた。
プーリア・カラブリア公爵家はロベルトの孫グリエルモ2世の代で直系が絶え、ルッジェーロ1世の息子であるルッジェーロ2世が継承したことでナポリ・シチリアが統合された。ルッジェーロ2世は1130年、ローマ教皇から王号を得たことにより、シチリア王国が成立する。
東方の文化を受け入れ地中海の交易で栄えたが、グリエルモ2世没後に傍系の庶子タンクレーディとルッジェーロ2世の娘コスタンツァの間で王位を巡る争いが起こり、コスタンツァの夫ハインリヒ6世によって征服されてホーエンシュタウフェン朝へと王位が移ることになった。
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歴代シチリア王
系図
タンクレード | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
グリエルモ1世 プーリア伯 | ドロゴーネ プーリア伯 | ウンフレード プーリア伯 | ロベルト・イル・グイスカルド プーリア・カラブリア公 | グリエルモ プリンチパート伯 | ルッジェーロ1世 シチリア伯 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
善良侯オドン | エマ | ボエモン1世 ターラント公、アンティオキア公 | ルッジェーロ・ボルサ プーリア・カラブリア公 | グイード アマルフィ公 | リッカルド・ディ・サレルノ | アルトルーデ | シモーネ シチリア伯 | ルッジェーロ2世 シチリア王 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
タンクレード ガリラヤ公 アンティオキア摂政 | アルトルーデ =リッカルド・ディ・サレルノ | ボエモン2世 アンティオキア公 | グリエルモ2世 プーリア・カラブリア公 | セシル (ボードゥアン2世姉妹) | ルッジェーロ サレルノ伯 アンティオキア摂政 | マリア =エデッサ伯ジョスラン1世 | ルッジェーロ3世 プーリア公 | タンクレーディ バーリ公 ターラント公 | グリエルモ1世 シチリア王 | コスタンツァ シチリア女王 | ハインリヒ6世 神聖ローマ皇帝 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
コンスタンス アンティオキア女公 | レーモン・ド・ポワティエ | タンクレーディ シチリア王 | グリエルモ2世 シチリア王 | フリードリヒ2世 シチリア王 神聖ローマ皇帝 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ルッジェーロ3世 シチリア王 | グリエルモ3世 シチリア王 | ホーエンシュタウフェン朝 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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脚注
参考文献
関連項目
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