オンタリオ航空
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オンタリオ航空(オンタリオこうくう、英語: Air Ontario Inc.)とは、オンタリオ州ロンドンに拠点を置くカナダの地域航空会社である[1]。2002年、エア・カナダJazz(現在のジャズ航空)に経営統合された[2]。
歴史

以前はグレイトレイクス航空 (カナダ)という名称で1958年に設立[要出典]。その後、1983年にオンタリオ航空(Air Ontario Ltd.)と改名された。1987年6月、ジェームズ・プラクストン氏がオンタリオ航空(Air Ontario Inc.)を購入し、正式にエア・カナダの子会社となった[2][3][4]。またエア・カナダのコードシェアパートナーでもあった。
1990年2月、エア・カナダはノースベイ、サドバリー、ティミンズ、ウィンザーへの主要サービスを停止することを決定。ビリー・ビショップ・トロント・シティー空港からモントリオール、オタワへの路線を拡大し、アメリカ行きの便も追加した。
2001年1月、エア・カナダの子会社であるAir BC、エア・ノバ、オンタリオ航空、カナダ・リージョナル・エアラインズの4社が合併し、「エア・カナダ・リージョナル社」を設立。2002年には合併が完了し、ブランド名「エア・カナダJazz」として運航を開始した[4]。
保有機材


2001年時点でのオンタリオ航空の保有機材は以下の通りである[5]。
1984年での就航地
1984年時点での就航地は以下の通りである[7]。(この時の運用機はコンベア580)
1989年までに航空会社はフォッカー F28を保有機材に導入した[8]。
1992年での就航地
この当時、オンタリオ航空はエア・カナダのコードシェアパートナーとして、カナダやアメリカなどへ就航していた[9]。
1995年までにオンタリオ航空は、トロント-ボルチモア間の便にデ・ハビランド・カナダ DHC-8を追加した[10]。
事故
- 1988年11月1日、レッド・レイク発ピケンジカム行きの貨物機であるオンタリオ航空937便(使用機材:C-47A、機体記号:C-FBJE)がピケンジカム湖に墜落し、乗員2名が死亡した[11]。
- 1989年3月10日、ドライデン発ウィニペグ行きのオンタリオ航空1363便(使用機材:フォッカー F28-1000、機体記号:C-FONF)が主翼への着氷が原因でドライデン地域空港を離陸後わずか49秒で森に墜落し、乗員乗客69名のうち24名が死亡した。事故当時、補助動力装置(APU)の故障により、エンジンを始動させたままだったため除氷が行えなかった。そのため主翼が着氷してしまい、十分な揚力が得られず墜落に至った。
脚注
外部リンク
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