オルホン渓谷

ウィキペディアから

オルホン渓谷

オルホン渓谷(オルホンけいこく、モンゴル語: Орхоны хөндийн)はモンゴル中央部のオルホン川両岸に広がっている渓谷。首都ウランバートルの西方約360 kmに在る。その渓谷の文化的景観は、2000年以上に渡って培われてきた遊牧民の伝統を例証するものとして、ユネスコ世界遺産に登録された。

概要 オルホン渓谷の文化的景観(モンゴル), 英名 ...
Thumb オルホン渓谷の
文化的景観
モンゴル
Thumb
英名 Orkhon Valley Cultural Landscape
仏名 Paysage culturel de la vallée de l'Orkhon
面積 7,537ha
(緩衝地域 143,867 ha)
登録区分 文化遺産
登録基準 (2), (3), (4)
登録年 2004年
公式サイト 世界遺産センター(英語)
使用方法表示
閉じる

重要性

何世紀にも渡って、オルホン渓谷はステップの王者の座所と見なされてきた。その最初の徴は、8世紀の突厥(とっけつ、とっくつ)のビルゲ・カガンによってこの渓谷に立てられた『オルホン碑文』である。

この石柱の北方約40キロメートル(約25マイル)には、聖なる森に覆われたウテュケン山のすぐ近くに、オルド(Ördü, 遊牧民の拠点)が有った。契丹(きったん、キタイ)人がこの渓谷を支配していた時には、石柱は契丹の権力者の偉業を記録しておくために、3つの言語で刻み直された。

山々はテングリ崇拝における世界の枢軸として神聖視されていたが、わけてもウテュケン山は特別視されていた。それは、この山にカガンの祖霊が宿っていると信じられていたからである。くわえて、ウテュケン山からは「汨(こつ、クト)」と呼ばれる霊力が発していて、それがカガンに突厥を支配する神権を与えていると信じられていた[1]。ゆえにこの渓谷を制する者は突厥の支配者たることを天から認められたと見なされ、集団を統率することが出来たのである。

したがって、オルホン渓谷を支配することは突厥のどの集団にとって戦略的最重要項目に属し、歴史上、突厥もモンゴル人も拠点をこの地に置いたのである。

遺跡

オルホン渓谷の主要なモニュメントは以下の通り。

Thumb
エルデネ・ゾー僧院
Thumb
オルホン碑文

登録基準

この世界遺産は世界遺産登録基準のうち、以下の条件を満たし、登録された(以下の基準は世界遺産センター公表の登録基準からの翻訳、引用である)。

  • (2) ある期間を通じてまたはある文化圏において、建築、技術、記念碑的芸術、都市計画、景観デザインの発展に関し、人類の価値の重要な交流を示すもの。
  • (3) 現存するまたは消滅した文化的伝統または文明の、唯一のまたは少なくとも稀な証拠。
  • (4) 人類の歴史上重要な時代を例証する建築様式、建築物群、技術の集積または景観の優れた例。

出典

研究文献

関連項目

外部リンク

Loading related searches...

Wikiwand - on

Seamless Wikipedia browsing. On steroids.