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エンリーコ・イントラ[1](Enrico Intra、1935年7月3日 - )は、イタリアのジャズ・ピアニスト、作曲家。
幼少期にプライヴェート・レッスンを通じてピアノを習得。戦中 (当時7歳)より、兄のジャンフランコ (ピアノ)とともにアメリカ人のグループに参加。プロとしての活動開始は1951年で、1957年のサン・レモ出演はよく知られるところ。またこの頃、ジャズはアメリカ人が演奏するものだという偏見を逆手にとり、レスター・ヤングとラス・フリーマンの名を掛け合わせた「レスター・フリーマン」という偽名で録音を残すほか、除隊後にはバッソ=ヴァルダンブリーニ楽団にも参加している。1959年には市内に「イントラズ・ダービー・クラブ」を開き、フランコ・チェッリ (ギター)、ジャンカルロ・バリゴッツィ (サクソフォーン、フルート)、渡欧組のミュージシャンらを起用しながら、ミラノのジャズ史に大きな足跡を残す。
特筆すべきは1950年代当時において、アメリカのジャズの語法に頼ることなく、ヨーロッパの歴史ある教養音楽にジャズのスウィングを取り入れ、独自の「イタリアン・モード」を確立した点にあると言える。
1986年、フランコ・チェッリと共に「Associazione Culturale Musica Oggi」をミラノ市内に設立。自身の演奏活動はもとより、教育活動、また指揮者としての多大な文化貢献を通じて、ジョルジョ・ガスリーニとともに「ミラノ2大巨匠」のひとりとして確固たる地位を築いている。
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