エミリアーノ・サラ

アルゼンチンのサッカー選手 (1990 - 2019) ウィキペディアから

エミリアーノ・サラ

エミリアーノ・ラウール・サラ・タファレル(Emiliano Raúl Sala Taffarel、1990年10月31日 - 2019年1月21日)は、アルゼンチンサンタフェ州出身の元サッカー選手。ポジションはフォワード

概要 エミリアーノ・サラ, 名前 ...
エミリアーノ・サラ
Thumb
FCナントでのサラ(2017年)
名前
本名 エミリアーノ・ラウール・サラ・タファレル
Emiliano Raúl Sala Taffarel
ラテン文字 Emiliano Sala
基本情報
国籍 アルゼンチン
イタリア[1]
生年月日 (1990-10-31) 1990年10月31日
出身地 サンタフェ州クルル(Cululú)
没年月日 (2019-01-21) 2019年1月21日(28歳没)
身長 187cm
選手情報
ポジション FW
利き足 右足
ユース
2010-2012 ボルドー
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
2012-2015 ボルドー 11 (1)
2012-2013 オルレアン (loan) 37 (19)
2013-2014 ニオール (loan) 37 (18)
2015 カーン (loan) 13 (5)
2015-2019 FCナント 120 (42)
2019 カーディフ・シティFC 0 (0)
通算 218 (85)
1. 国内リーグ戦に限る。2019年2月8日現在。
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経歴

2012年2月8日、FCジロンダン・ボルドーで、クープ・ドゥ・フランスオリンピック・リヨン戦でプロデビュー[2]

2013年7月2日、リーグ・ドゥシャモア・ニオールFCに期限付き移籍[3]

2015年7月20日、リーグ・アンFCナントに5年契約で移籍した。移籍金は100万ユーロ[4]。2018年10月20日のトゥールーズFC戦でハットトリックを達成。これはナントにとって2006年以来のハットトリックだった。中心選手として活躍した。

航空事故

2019年1月19日、2022年6月30日までの契約でカーディフ・シティFCに加入することが決定[5]。しかしその2日後の1月21日、ナントからカーディフへ向かうため搭乗した小型飛行機(パイパー PA-46、機体記号N264DB、1984年製造)の中から家族や友人向けに「壊れそうな飛行機に乗っている」「すごく怖い」との音声メッセージを発し、ほどなくして飛行機はイギリス海峡チャンネル諸島ガーンジー島の北部約20キロ付近で消息不明となった。翌22日にガーンジー警察による捜索が行われ、洋上にて複数の浮遊物が発見されたものの搭乗者を示すものは見つからず[6][7]、24日には搭乗者の生存の可能性が極端に低くなったとして、警察当局による積極的な捜索は打ち切られた[8][9]。その後、捜索資金の寄付募集が行われ、30万ユーロ(約3740万円)以上の資金が集まったことで捜索が再開された[10]

2019年2月3日、遠隔操作型無人潜水機を使った捜索により海底67.7mで機体が沈んでいるのが発見され、胴体後部に1人の遺体が確認された[11][12]。遺体は2月7日に収容され、英警察によりサラの遺体であることが確認された[13]。死因は当初、頭部の損傷であると発表されたが[14]、後の検査により墜落直前に致死的な一酸化炭素中毒に陥っていたことが判明した[15][16]

2019年2月9日、FCナントはサラが付けていた背番号9を永久欠番とすることを発表した[17]

死の3ヶ月後に、サラの父親が心臓発作で息を引き取った[18]

脚注

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