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アルメニアのサッカー選手 ウィキペディアから
エドガル・マヌチャリアン(アルメニア語: Էդգար Մանուչարյան, ラテン文字転写: Edgar Manucharyan, 1987年1月19日 - )は、ソビエト連邦(現アルメニア)・エレバン出身の元アルメニア代表の元サッカー選手。現役時代のポジションはFW、MF。
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名前 | ||||||
ラテン文字 | Edgar Manucharyan | |||||
アルメニア語 | Էդգար Մանուչարյան | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | アルメニア | |||||
生年月日 | 1987年1月19日(37歳) | |||||
出身地 | エレバン | |||||
身長 | 177cm | |||||
体重 | 74kg | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | FW (ST) / MF (WG) | |||||
利き足 | 左足 | |||||
ユース | ||||||
ピュニク・エレバン | ||||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
2002-2005 | ピュニク・エレバン | 53 | (40) | |||
2005-2010 | アヤックス | 9 | (0) | |||
2009-2010 | → ハールレム | 17 | (6) | |||
2010 | → AGOVV | 12 | (8) | |||
2010-2012 | ピュニク・エレバン | 28 | (13) | |||
2011-2012 | → ウラル | 12 | (6) | |||
2012-2017 | ウラル | 72 | (17) | |||
2017 | ラーチャブリー | 0 | (0) | |||
2018 | ウラル | 6 | (0) | |||
2018-2019 | アラシュケルト | 21 | (3) | |||
2019 | ピュニク・エレバン | 3 | (0) | |||
2020 | アラシュケルト | 5 | (0) | |||
代表歴 | ||||||
2002-2004 | アルメニア U-17 | 9 | (8) | |||
2003-2004 | アルメニア U-19 | 15 | (9) | |||
2002-2008 | アルメニア U-21 | 7 | (1) | |||
2004-2017 | アルメニア | 53 | (9) | |||
1. 国内リーグ戦に限る。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
FCピュニク・エレバンの下部組織を経て、リザーブチームで得点を量産していたことにより、2002年シーズンに同クラブのトップチームへ昇格を果たす[1]。翌2003年シーズンは、12得点を記録する[1]。2004年シーズンには、ガルスト・ペトロシャンとのコンビ[2]で22試合21得点と得点王に輝く活躍を見せ (ペトロシャンも得点王) 、チームの優勝に大きく貢献し、更に年間最優秀選手賞を受賞する[3]と、注目を集め、同年12月にアヤックス・アムステルダム (オランダ1部) からトライアルに招待される[4]。14日のFCバルセロナとの親善試合中に足を骨折する[5]不運に見舞われ、トライアルを途中で終了することを余儀なくされたものの、それまでのプレーが認められ、7月1日からの3年契約を勝ち取ることに成功した[6]。
2005年9月18日のAZアルクマール戦 (2-4) でライアン・バベルとの交代から84分に初出場を飾り[7]、以来、リーグ戦4試合に出場し、翌2006-07シーズンは、相次ぐ負傷に悩まされたことで、昨季同様に下部組織のヨング・アヤックスでのプレーが主戦場となる[8]中、2006年11月2日、UEFAカップ2006-07のFKアウストリア・ウィーン戦で公式戦初得点を挙げた[7]。2007年3月16日、2008年までの契約が2011年6月30日まで延長された[7]。なお、2006年7月22日には、アヤックスとアーセナルFCに在籍したデニス・ベルカンプの引退試合に出場した際、新設されたエミレーツ・スタジアム史上初めて得点を挙げたクラース・ヤン・フンテラールのゴールをアシストしている[9]。
2007-08シーズンにアドリー・コスター監督が新たに就任すると、トップチームでは未出場が続き、今まで以上に下部組織でのプレーが主戦場になっていた為、2008年5月にアヤックスからの退団を望む[10]。6月には、5人の選手と共に放出リストに掲載されたと報じられた[11]。
2009年8月6日にエールステ・ディヴィジ (2部) のHFCハールレムへ1年間の期限付き移籍に出される[12]。翌日のSCフェーンダム戦 (1-6) において、フランク・カレマンとの交代で早速初出場を飾り、9月26日のFCデン・ボス戦で初得点を挙げる等で半年間に主力として17試合6得点を記録した。だが、シーズン中の2010年1月25日にハールレムが破産を宣言し、新たな投資家を発見出来なかったことにより、アヤックスから期限付き移籍で加入していた自身を含む6人は復帰することになった[13]。
2010年2月3日にジョン・ファン・デン・ブロム監督率いるエールステ・ディヴィジのAGOVVアペルドールンへシーズン終了までの期限付き移籍に出される[14]。FCフォレンダム戦で初出場及び初得点を記録し[15]、それから1週間後の2月19日のSBVエクセルシオール戦ではハットトリックを達成した[16]。
2010年7月にアヤックスとの2011年夏まで契約を双方合意で解除[17]、ハールレムで17試合6得点、アペルドールンで10試合7得点を挙げたが、アヤックスでは9試合無得点に終わる[18]。19日に古巣FCピュニク・エレバンと半年の契約で復帰[19]し、UEFAチャンピオンズリーグ 2010-11予選2回戦のパルチザン・ベオグラードとの第2戦で初出場を飾る。リーグ戦で5得点を挙げて、チームの優勝に貢献した後、契約満了に伴い退団したマヌチャリアンに対し、FCカルパティ・リヴィウから関心を示されると、契約交渉の為にウクライナへ渡った[20]ものの、実現せず[21]、最終的に2011年1月26日にピュニク・エレバンと3年契約で再加入をした[22]。
2011年8月中旬にFCピュニク・エレバンからロシア・ナショナル・フットボールリーグ (ロシア2部) のFCウラル・スヴェルドロフスク・オブラストへ1シーズンの期限付き移籍に出され[23]、2012年7月17日には同クラブと2年契約で完全移籍を果たす[24]。2013年4月1日のFCトム・トムスク戦 (2-0) において、完全移籍後初にして2得点を挙げた[25]。
2018-19シーズンの最終日である、2019年6月5日にアラシュケルトから放出され[27]、翌日、古巣FCピュニク・エレバンへの2度目の復帰を果たした[28]。
アルメニア代表としては、まず、2002年からU-17代表でプレーすると共に同年はU-21代表としてもプレーしており、その後、U-19代表として参加したUEFA U-19欧州選手権2005の予選において8得点、特にハンガリー戦 (5-1) で4得点を挙げる活躍を見せた[1]。2004年からはA代表でプレーした。
所属クラブ | シーズン | リーグ | 国内カップ | 欧州カップ | 合計 | |||||
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所属リーグ | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||
ピュニク・エレバン | 2002 | アルメニア・プレミアリーグ | 10 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 10 | 2 |
2003 | 17 | 12 | 0 | 0 | 4 | 1 | 21 | 13 | ||
2004 | 22 | 21 | 0 | 0 | 4 | 2 | 26 | 23 | ||
2005 | 4 | 5 | 0 | 0 | 0 | 0 | 4 | 5 | ||
合計 | 53 | 40 | 0 | 0 | 8 | 3 | 61 | 43 | ||
アヤックス | 2005-06 | エールディヴィジ | 4 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 5 | 0 |
2006-07 | 5 | 0 | 1 | 0 | 2 | 1 | 8 | 1 | ||
2007-08 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | ||
2008-09 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | ||
合計 | 9 | 0 | 1 | 0 | 3 | 1 | 13 | 1 | ||
ハールレム (loan) | 2009-10 | エールステ・ディヴィジ | 17 | 6 | 2 | 0 | - | 19 | 6 | |
AGOVV (loan) | 12 | 8 | 0 | 0 | - | 14[a] | 9 | |||
ピュニク・エレバン | 2010 | アルメニア・プレミアリーグ | 12 | 5 | 0 | 0 | 1 | 0 | 13 | 5 |
2011 | 16 | 8 | 2 | 0 | 1 | 0 | 19 | 8 | ||
合計 | 28 | 13 | 2 | 0 | 1 | 0 | 31 | 13 | ||
ウラル | 2011-12 | ロシア・ナショナル・フットボールリーグ | 12 | 6 | 0 | 0 | - | 12 | 6 | |
2012-13 | 11 | 6 | 0 | 0 | - | 11 | 6 | |||
2013-14 | ロシア・プレミアリーグ | 23 | 3 | 0 | 0 | - | 23 | 3 | ||
2014-15 | 17 | 2 | 1 | 1 | - | 18 | 3 | |||
合計 | 63 | 17 | 1 | 1 | - | 64 | 18 | |||
キャリア通算成績 | 182 | 84 | 6 | 1 | 12 | 4 | 202 | 90 |
アルメニア代表 | ||
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年 | 出場 | 得点 |
2004 | 6 | 0 |
2005 | 3 | 1 |
2006 | 2 | 0 |
2007 | 3 | 0 |
2008 | 3 | 1 |
2009 | 3 | 0 |
2010 | 6 | 3 |
2011 | 8 | 1 |
2012 | 2 | 1 |
2013 | 3 | 1 |
2014 | 6 | 0 |
2015 | 1 | 0 |
2016 | 2 | 1 |
2017 | 4 | 0 |
Total | 53 | 9 |
# | 開催日 | 開催地 | 対戦国 | スコア | 結果 | 大会 |
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1. | 2005年6月4日 | エレバン | 北マケドニア | 1-2 | 1-2 | 2006 FIFAワールドカップ予選 |
2. | 2008年3月26日 | ロッテルダム | カザフスタン | 1-0 | 1-0 | 親善試合 |
3. | 2010年5月25日 | エレバン | ウズベキスタン | 2-0 | 3-1 | 親善試合 |
4. | 2010年5月25日 | エレバン | ウズベキスタン | 3-0 | 3-1 | 親善試合 |
5. | 2010年9月7日 | スコピエ | 北マケドニア | 1-2 | 2-2 | UEFA EURO 2012予選 |
6. | 2011年2月9日 | リマソール | ジョージア | 2-2 | 2-2 | 親善試合 |
7. | 2012年11月14日 | エレバン | リトアニア | 1-0 | 4-2 | 親善試合 |
8. | 2013年2月5日 | エレバン | ルクセンブルク | 1-1 | 1-1 | 親善試合 |
9. | 2016年5月28日 | カーソン | グアテマラ | 1-2 | 1-7 | 親善試合 |
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